バックパック・トゥ・バック

大竹 和竜

 バックパック・トゥ・バック

第一幕「ザ・シティ・オブ・ディープ・シー」  今や人類の半分が竜になってしまった。  神話、伝説、強きもののたとえ、人の中にあって人でない者。そうなれる、と言われて、なる人はどれほどか。果たして、多くの人間が竜になることを望んだ。 何年も前に『心を自由にする技術』が開発された。怒り、悲しみ、あらゆる負の感情と、それらの苦しみから解放される、この技術の恩恵を受けたものが、竜である。今この瞬間も、安寧を求めて誰かが竜になっていく。  私の名前はジン。親から与えられた文字から、日系の名前だと知っている。  私は、戦争で失われた自分を取り戻すため、祖先の故郷である日本を目指している。オダワラという所に、私を取り戻すためのものがあると、終戦から半年経った頃に知った。 終戦から一年の今、世界情勢も安定したところで、療養先のグァムで出会った竜に頼んで日本行きが叶った。早く、負の感情ばかりの今の自分を捨て、豊かな私を取り戻したい。 「おォい、ジン、そろそろだぞォ。ニッポン。いま潜望鏡で、でっかい山が見えた!」  陽の出の知らせが出てから、寝室を抜け出し、ラウンジで、ぼーっとしていたところに話しかけてきたのが、黒い竜のチャーリーだ。潜水艦の天井付近の操縦席から降りてくる。潜水艦なのにフェリーのような内装なのは、彼が客の輸送を仕事にしているからだ。  チャーリーの背中から、一対の漆黒の管が伸びている。その管が潜水艦から繰り出されているのか、管自身が伸びているのか、ともかく彼はするすると天井から降りてきた。  彼はスマートな体格である。澄んだ青い目をしている。その言動とふるまいは、神話の竜と言って想像するには、人間臭い。もとはといえば人間だからだ。一方で、その容姿は西洋の竜そのものが人に重なったようである。長い顔は笑うと太い牙が見え、尾は先まで筋肉でぎっしりと詰まっている。体表を覆う瓦屋根のような鱗の列は、しかし柔らかな群青の光を帯びる。アロハシャツがよく似合う。 私が見た竜の中でも特に表情豊かであるのがチャーリーだ。声と、体つきと、言動からして男というのが私の見立てだが、竜は人それぞれだ。見てくれだけでは判断できない。  『心を自由にする技術』の恩恵を受けた人間は、彼のように竜になる。竜は一つの共通点を持つ。背中にある一対の漆黒の翼だ。しかし、人間であった時の個性は残る。その人らしさと言っていい。 「浮上できるか? 日差しを浴びたい」 「ああ、いいぜェ」  チャーリーはこの潜水艦そのものでもある。彼の背中から生えているものこそが彼の翼で、この潜水艦を作っている。竜は背中の翼で様々なものを形作れるのだ。 「あれ、今気づいたけど、湾なのにずいぶん深いな。面白いなァ、ここは」  一度、チャーリーに「なぜ潜水艦になってばかりなのか」と聞いたことがある。なぜなら「潜水艦旅行、お手軽価格でご提供中! 面白い行先ほどお安くします」と書かれた看板をもってグァム島を練り歩いていたほどだからだ。そして、先の疑問には「好きだから」という答えが返ってきた。 「誰かの為に体を動かすのって、けっこう素晴らしいんだァ」と、その時のチャーリーは微笑んでいた。天井付近の操縦席も見せてくれた。自分の体でわざわざ操縦席を作る、変わったやつだ。今床に立って話しているように、操縦席にいなくても操縦できる。 「浮上、終わったぜ。リクエスト通り、スルガ湾、ヌマヅ港だ。面白そうだから俺も一緒に行っていいかァ? 久々の日本だ」  これは意外だった。竜は気まぐれかつ、その自由な翼で様々な仕事をしているため、基本的に誰かに頓着することは少ない。  ハッチを開くと、陸地は目の前だった。しばらく水中の肌寒さ続きだったが、やわらかい日差しが迎えてくれた。日本は桜の季節だ。 「あれが、富士山」  気付けば口に出ていた。日本に来ると決めてから、いろいろ調べて知った、日本の最高峰だ。前にある小さい山にやや隠れているが、ひときわ高く、羽衣のような雲を纏っていた。久しぶりに、感情が沸いた気がしたが、何かに吸われるように消え失せた。あの時以来、ずっとこうだ。 「すげーよなァ、あれ火山なんだろ? しかも、まだ生きてる活火山」  不意にチャーリーの声がした。ハッチにラッパのような管があった。伝声管だ。気付かないうちにチャーリーが生やしたのだろう。寝て起きたら彼の気分で内装が変わるというのがここ最近だったので慣れたが、突然話しかけられてびっくりしてしまう。 「なんだよ、体が自在なら電話ぐらい作れよ」 「いやァ、俺も潜望鏡から見ててさ、大興奮ってわけよォ。光ファイバーで見るガチモンだからさ、リソースを割けねェ。これで勘弁してくれ! 竜も万能じゃねえんだよォ!」  上陸が間近だ。私は、背負ったバックパックの位置を直した。

   ヌマヅ港に入り、チャーリーの潜水艦が接岸すると、私は港に降り立った。比較的人は多く、人間と竜が半分ずつの、今の世界の縮図のようだった。大きな水門や、観光客向けの料理店の一部は放置されて久しく、なかには破壊されてしまったものもある。だが、いまでも多くの店が暖簾を下げ、焼き魚の香りとともに活気のある漁港というのは珍しい。 その一方、遠くで砲身をうなだれている戦車はやはり、戦後の復興が始まったばかりというのを克明にした。  振り返ると、やはりチャーリーの作る潜水艦が見事なのが分かった。大型のバスくらいはあるのだ。見ていると、みるみる潜水艦は縮小し、水から飛び出してくるペンギンのように、チャーリーも港に降り立った。 彼が港に降り立って、ずぶ濡れの犬がするように水気を飛ばす。一息ついたのち、海中に取り残されていた彼の翼がどんどん折りたたまれ、バックパックの形になった。 普段、竜は翼をこの形にして日常生活に溶け込んでいる。実際、同じように白いバックパックを背負っている私と並んでも、旅人にしか見えないので竜達は工夫がうまい。 更に、竜が現れたころには既に人間の外見もかつてとは異なっており、外見のバリエーションは豊かである。だから、無言で歩き回っている分には竜と人の区別はあいまいだ。 だが、竜はマイナスの気持ちがないという点と、背負ったバックパックが何とも表現できない黒色であるという点から、よく見れば判別できる。 「シズオカって初めてだ! グァムに比べると寒いんだな」 「ああ、思ったより、そうだね」  身を震わせるチャーリーを尻目に、私は携帯端末の地図ソフトを開く。確かに旧日本国、シズオカ県ヌマヅ市にいることが分かった。  オダワラを目指して旅立つ前に、港で腹ごしらえすることになった。 少し歩くと、朽ちた対空砲の車両に出会った。本来なら砲を引いた大型トラックのような姿なのだが、前半分が爆ぜた爆竹のように吹き飛んでいた。その後ろに引かれている、ワニ口のような開放型の砲身のレールガンは、リミッターを外して連射したのだろう、外装が溶け落ち、竜が血を吐くかのようであった。 車体側面に書いてある文字は、日本語で判読できなかったが、太平洋重工のマークがあったのでその所属とすぐ分かった。日本支社のこの車両は、旧型ながらも砲身が焼き切れるほど奮戦し、任務を立派に全うしたのだ。近くの山に、これが撃墜したと思しき、ユーラシアン社製のステルス爆撃機も見えた。 名前も顔も知らない友軍の彼らに、私は一度立ち止まった。企業の経済力に国家が押しつぶされ、国境が曖昧になった今、言葉の壁も文化の壁も曖昧になったし、なんのために戦っているのかも、金のもとに曖昧になってしまった。こんな戦争が、二十年は続いた。 だが、曖昧ながらも、同郷の何か共通の利益のために戦って、この車両の中で死んだ戦友に悲しみを覚えた。私は、祖母がそうしていたように、手を合わせた。 「ああ、そうか。ジンも太平洋重工だったっけ。講和になって、よかったよなァ」 「前線はみんなほっとしてたと思うよ。チャーリーは、どこだったんだ?」 「補給とかで、前からグァムにいたんだァ」 「そうだったんだ。こっちは朝鮮だ」 「ほんと、終わってよかったよォ」  私はそこで返答をやめた。周りにいる人々も、せっかく楽しげに客引きをしていたり、食事を楽しんでいる中で、前の戦争、大手ウェブサイトでは世界企業戦争などと書かれているものの話を続けたくなかったからだ。竜は、マイナスの気持ちを持たないから、いい面だけを言うのは当然だろう。 「なあジン。あれ食べようぜ。テンプラ・ボウル。俺、腹減っちまったァ!」  辺りを見回していたチャーリーが、食堂を見つけ指さした。少しばかりの行列が見え、活気のありそうな店だった。 水だけで生きていられるような生き物でも、チャーリーはお腹が減るタイプらしい。風が通り、肌寒い中、食品サンプルの大きな天丼はかなり食欲をそそったのだろう、チャーリーの腹がサイレンのように鳴っていた。

第二幕「バック・トゥ・ザット・デイ」  ヌマヅ港で入った食堂「角天」は、四角柱状の背の高いかき揚げが売りの店だった。 「うーん、おなか一杯! ジンは大丈夫か?半分しか食ってなかったけど。カキアゲ、だっけ? おいしかったなァ。食べさせてくれて、ありがとなァ」 「半分も食べれば十分だよ」  大ボリュームに私の胃は悲鳴を上げる。私は普段からあまり食べないが、ここから先は徒歩になるから、もっと食べておくべきだったかもしれない。竜はこういった苦痛も感じないのか、私の残した分もぺろりと平らげた。  ヌマヅ港を出て、大きな川に沿って歩く。「角天」の、口の悪い元戦闘サイボーグのおばちゃんの話によると、この大きな川、カノ川が三又になる少し北に、大きな湧水池があるらしい。そこを目指せば、オダワラへ一直線に通じる国道一号に出るそうだ。 「なあ、ジン。どうして歩くんだ? 確かに列車もまだ止まってるし、俺は車になるの苦手だけどよ、車やってる竜だっていっぱいいる。金渡せばラクチンだぜ?」  黙って歩くのに飽きたのか、チャーリーがもっともな疑問を投げかけてきた。 「歩きで行きたいんだ。誰かに迷惑をかけたりしないで済む」  私は嘘をついた。私がオダワラに行くことは、なるべく伏せておきたい。チャーリーにも、まだ言っていないのだ。なぜなら、私自身を取り戻すためのものに知られたら、それがなくなってしまうかもしれないからだ。 「ふゥん。たしかに、そっちの方が面白いかもしれないな。お、あれじゃねえかァ? 三又になってるところ。確認してくるぜ」  チャーリーはバックパックの形に畳んでいた翼を、するりとクアッドコプターに変形させて飛び立った。竜が翼で飛ばないというのは奇妙だが、どうやら実際の彼らは効率重視のようだ。翼が取れる形には得手不得手があるようで、チャーリーが言うには、飛ぶときはヘリの形になるかドローンもどきになるのがほとんどだそうだ。わざわざ翼をつくって羽ばたいて飛ぶのは超マニア、らしい。  そのまま川に沿って進んでいると、チャーリーが戻ってきた。 「おばちゃんの言ってた通り橋があったけどよォ、超ボロいぜェ?」 辿り着いた橋は、自動車も渡れたであろう構造だったが、朽ち果てていた。アスファルトはひび割れ、鉄骨は錆びていななく。しかし、人一人なら何とか渡れそうだった。チャーリーはクアッドコプターの姿が気に入ったのか、私の周りを飛び回っている。 「なあジン、そういやどこに行くんだァ?」  どうごまかそうか、歩きながら考える。 「とりあえず東」 「お、トウキョウか? 活気があるそうじゃないか! いいなァ! でもそれなら車のほうが。あ、俺、トロッコ列車なら!」 「ほ、ほら、大昔の日本人って歩いていくことに価値があったとかいうらしいし! あと、この国のことだからどこもかしこも修理修理で通してくれないよ、きっと」 「ほんとかァ? じゃあなんで新幹線なんてのをまた大昔に作ったんだよォ?」  嘘をつかない程度に話を合わせようとするも、チャーリーの追及は的確だ。面倒くさい。 「それはーだな、えっと、うわっ?!」  進めていた歩みの先から、硬く大きい物が割れ崩れる音がした。続いて不安定になる足元に、なくなる接地感。橋が崩れた。  落ちる、と思った瞬間、バックパックが何かに引っかかった。しんなりとした動きで減速したと思ったら上昇を始める。がれきがぶつかり合い、川面に落ちていく音が収まると、猛烈な風切り音を認識できた。チャーリーにバックパックを掴まれたのだ。 「あッぶなかったなァ、あーびっくりした。お前、意外と重たいのな」 「た、助かった」  私は、竜のもつパワフルさに助けられたのだ。うかつさに申し訳なくなる。 「面白そうなやつが死んだらヤダろォ?」  と、チャーリーは対岸まで私を運んだ後、にっこり笑ってそう述べた。 私は「すまない」と伝えた。その時のチャーリーはにっこり笑って答えた。 「こういうときはァ、ありがとう、だろォ?」 「そう、だったな。ありがとう」 ただ、やはり申し訳ない。命を助けてもらってなんだが、彼が掴んだ私のバックパックには、拳銃とその弾が入っている。戦争が終わって間もないので、それ自体は不思議ではない。只々古い、四十五口径、七発入りの旧米国製の自動拳銃である。私は、これをある人物に向けて撃つつもりだ。そして、私がなくしたプラスの感情を取り戻す。

陽もだいぶ傾いたころ、非常に大きな湧水地に着いた。その上に通る浮橋を渡る。戦時中に掛けられたのだろう。  私は先を急ぐためにあまり見ていなかったが、チャーリーは「すっげェ、海より青い! ありゃニジマスかァ?」とはしゃいでいた。  たどり着いた国道一号では、戦後の復興がまさに進んでいた。広い片側二車線の道路に、資材運搬の大型トレーラーがひっきりなしに行きかう。時折通る漆黒の小型車は、竜の翼が形作っているものだろう。 沿線に見える大きな店舗は、砲撃を奇跡的に免れたのか、修復作業のための足場を纏っていたものの、活気にあふれていた。一般人に紛れて、竜もが普通の生活を取り戻していた。ああいう私を、早く取り戻したい。  国道一号に沿って東に歩くと、ミシマ市だ。西の空が淡い紅色に染まり、乾いた風が皮膚を裂くように冷たい。夜が近づいている。 太平洋重工管区だから、太平洋ドルが使えるはずだが、果たして宿があるのか不安を覚えた。一応、私は朝鮮で終戦を迎えたので、寒さをしのげるテントを持ってきている。 先ほどからあたりを飛び回っては、富士山の姿や、途中通り過ぎた、まだ無事な鉄道に興奮していたチャーリーも、簡単な自分用のコテージになれるに違いない。戦友の竜達もそうしていたから、そう思った。 いよいよ山が近づく。これを超えればオダワラが近づく。だが、日も暮れかけているから、宿かキャンプをできる場所を探さなくてはならない。幸い、道路標識の類が国道一号への道を示してくれているので、周囲で宿を探すこととなった。チャーリーも辺りを飛び回って手がかりを探してくれる。 来る前に下調べしておいたが、この辺り、ミシマは古くは宿場町であったので、宿があってもおかしくはないだろう。 「おォい、ジン、たぶんあったぞォ! なんかさァ、オンセンだってよ! 温泉! 人がいっぱいいたぜェ!」

 ミシマ市タケクラ地域は寂れてはいるが、歴史ある温泉地だ。となりのヤタ地域は、旧日本政府直轄の研究機関があり、桜の名所でもある、密やかな観光地だった。  目の前にある、かつては立派であっただろう旅館、『シルクロード』は、あちこちに焚火の明かりが揺らぎ、多くの人が騒々しく、しかし戦後の暗さをはらう明るさだった。割れたガラス戸は内側からベニヤ板とガムテープでこれでもかと補強され、日本語がわからなくても理解可能な下品な落書きと、後からつけたネオンサインが賑やかであった。 携帯端末でも、今たどり着いた建物が『シルクロード』という宿泊施設だと言っていた。目に見える限り、盛況している。だが、端末が言うには、百数十年前に廃業済みである。  そのギャップに困惑していると、赤ら顔の竜が、ちょうど玄関から出てきて煙草に火をつけた。廃業済みで、他のガラス戸は見る影もないのに、その自動ドアだけ、無事にガラス戸であった。 出てきた薄紅色の竜は、体格からするに女だ。ツナギの上からこの旅館の法被を着ている。その前側は大きく開いており、肌着が見えていた。ここのスタッフのようだ。彼女は煙草の先を真っ赤にして、それを味わったその一瞬で私と目が合った。続き、チャーリーと目を合わせ、瞬きを一つした。もう太陽は山の向こうに沈んでいた。  彼女は口と鼻から、まるでファンタジィ世界の竜のように煙を吐き出して言った。 「よォーッ、大将! お客さんだぜ! 竜と軍人さんの二人組だァ!」  流れてきた竜の吐息は、バニラ臭かった。

第三幕「リグレット・オブ・マイ・ユース」 「なんだいお兄さん、軍人はやめたのか!」  目の前の豪快な竜の女性は、ナガラと名乗った。少し、チャーリーと印象が異なる。 「はい、今はただの旅人です」 「日本語も達者だね。名前は?」 「ジンです」 「へぇ、日系かい? そっちの、洋物竜は?」 「チャーリー」  珍しく、チャーリーはシャイだった。ナガラとは目をちらちら合わせる程度だ。 「おや、よく見たら、洋物のおにーさんは第一世代か。大変だったなあ。まあ、ウチは竜も旅人も大歓迎さ。廃墟だけどね、見てくれも。だが見ての通り盛況で、なんと大将が日米ハーフだ。きっとあんたも話せるさね!」  と、ナガラさんがチャーリーの背中を叩いた。日本訛りだが、流暢な英語だった。  珍しく、チャーリーが居心地悪そうにしていた。彼が属する第一世代というのは、心を自由にする技術を最初にうけた人たち、ということだろう。初めて耳にする言葉だった。

 廃墟での不法営業は、この時代では珍しくない。比較的安く、いい和室を借りられた。 部屋に着くとチャーリーが珍しく嫌そうだった。敷いてもらった布団に倒れこみ、クアッドコプターでゆるい風を自身に送っている。 「ううー、あのネーチャン、軽く言ってくれてよォ、まあいいけどさァ」  私は、チャーリーがネガティブなことを言うのを初めて聞いた。すぐ打ち消したが、少し気になった。 「なあ、第一世代だと、何が違うんだ?」 「戦争終わったし気にしない気にしなァい」  そうだ。竜は基本的にネガティブなことは気にしない。詮索するのも野暮だろう。 「おーい! 洋物竜のにーちゃん、温泉のボイラー、手伝ってくれねーか!」  ナガラの声が響いた。チャーリーが呼ばれているが、私もついていくことにした。

 一階に降りるとナガラが「こっちこっち!」と笑顔で手招きしてくる。 「なんだい、ジンさんも着たのかい。竜が働くところに興味でもあるのかい?」 「チャーリーには、恩があるので」  そしてなんとなく、一人きりにするのは気が咎めたのだ。  彼女の案内に従ってチャーリーとついていく。薄暗い地下への階段は、コンクリートがむき出しだった。入口には、手書きで「ボイラー室」と書かれたプラスチックの札が天井からステンレスの鎖で下がっていた。  下りた先は温泉のボイラー室だ。本当なら騒々しいはずなのだが、やや静かである。それでも機械の音が絶え間ない。 「どうもここのボイラーもだましだましで使ってきたけど、いよいよ機嫌を損ねてね。ここいらでは冷泉をあっためて使うのさ。お客さんも今日は多いし、竜が二人もいりゃ上等な湯加減でたっぷり行けるだろう」 「い、いいけどよ、さすがに流れ者の俺が」  チャーリーは遠慮がちだが、内心彼女が苦手なのだろう。だが、ボイラー室の騒音も射抜くほどのチャーリーの腹の音が響いた。 「あっはっは! なんだいチャーリーは腹が減るのか! 珍しい竜だね! 手伝ってくれたら晩飯も朝飯もサービスだ!」 「わ、わかった、それならやるよォ」  しぶしぶ、といった様子でチャーリーは翼をボイラーに変形させた。配管にまで翼が伸び、生き物とも機械ともつかない姿だ。 「ん、ほんとに冷てェ、こりゃ、骨だな。しかもこれユーラシアン社規格かよ!」  チャーリーが珍しく真剣そうな声を出した。 「そうさ、お古の中国製。あたしちょっと苦手みたいでさ、こういうの。いっつも時間かかるんだ。セスナになるのは得意なんだけど」 「ふんっ!」  チャーリーが力を込めると、あっという間にボイラーは高温を帯びた。 「ナガラのネーチャン、もう少し水の量、増やして大丈夫だぜェ」 「嘘だろ? いくらあんただからってそんな……たまげたな、ちょっとあちーくらいだ」  彼女は水温を確認すると、上機嫌で流入する水量を増やし、明日の弁当までつけてくれることを約束してくれた。 「ありがとよ、元軍人のお二人さん」

 翌朝、私は悪夢で目が覚めた。東の空もまだ暗い。この夢を見ると、私はもう眠れない。  なぜなら、復讐の相手、イサオに、戦争中裏切られたのを思い出す夢だからだ。  夢の中で私は、上司であるイサオの指示で、竜を含む仲間とともに、他部隊への援護を命じられた。だが、指定された地点にいたのは敵であるユーラシアン社の、竜が主になる精鋭部隊で、援護するべき部隊はとっくの昔に壊滅していたのだ。 忘れられないことばかり夢にあふれてくる。仲間の竜が「こんなの楽しくない」と言って息絶えたことに加え、そのあとの苛烈な尋問だ。死なない、痕が残らない、何も失わない、だが渇きと飢えと鈍痛と、耐えがたい屈辱が、よみがえる。意識のない間に何をされていたのだろう? それも自分の夢では勝手に作られてしまう。きっと今の私は、それが原因でできているのだろう、と思うほどだ。 布団をでて、外の空気を吸うことにした。

 通用口を出ると、星空が賑やかだった。風は冷たい。ほんの少し、吐く息が白い。  私は、バックパックのサイドポケットからポーチを取り出す。拳銃と予備弾倉が入っている。そこから、拳銃を取り出した。 弾倉を抜き、遊底を引いて、薬室に弾が入っていないことを確認する。遊底止めを外すと、遊底が前進し、衝撃が掌を打った。 撃鉄が起きているのを確認し、近くの木に銃口を向けた。忘れもしない、少し背の低いイサオの胸のあたりに、照準をしっかり合わせ、引き金を引く。撃鉄が落ち、撃針を撃つ音が聞こえる。カチン、と音が響く。 撃鉄を右手親指で起こし、引き金を引く。それを繰り返す。かちり、カチン。かちり、カチン。銃口が揺れないよう意識し、繰り返す。かちり、カチン。薬室にある一発目を、確実に相手の急所に打ち込めるように。果たして、私は自分のプラスを取り戻せるのだろうか? かちり、カチン。 「ジン、なにしてんだ?」 「あっ、チャーリー」  生温かい風が吹いた。夜明けは近い。

第四幕「セントラル・フリーウェイ」  国道一号は歩きでは辛かったが、サワという、軽トラになるのが得意な竜に拾われて、工事中の国道一号を逸れ、つづら折りの旧道を軽快に登った。  昨晩のことは、はぐらかさなかった。助けてもらった手前、嘘をつくのは気が引けたからだ。イサオのことは話さなかったが、目的が復讐であり、行先がオダワラであることは告げておいた。 漆黒の軽トラの荷台で、サワの運ぶ荷物とともに、今は休憩中だ。途中の城塞跡で、私とチャーリーは、ナガラに貰った弁当を食べる。市販の、簡単な寿司の弁当だ。 青いパッケージが印象的だった。アジの寿司だそうで、巻きずしが二種類に、アジの酢漬けが乗ったものが一種類。生ワサビを自分の手ですりおろせるという仕掛け付きだった。 「ワサビって聞いたから辛いかと思ったら、全然辛くないな、これェ。うんめェ」  朝からチャーリーは至極ご機嫌であった。『シルクロード』の朝食の焼き魚の時もそうだったが、ワサビをすりおろしている時など、実に目が輝いていた。  昨晩のことを彼はどう思っているのだろう。事情を話した後「寒いからよ、戻ろうぜェ」とだけ言ってくれた。 「それ、おいしーっすよねぇ、俺もヌマヅに行ったときは駅まで行って買ってたすよ。いまは、腹へらねっすけど」  サワが運転席から声をかけてくる。水色の竜の彼は、この姿でいるのが好きらしい。 丁シャツに革ジャン、ジーンズに、目深にかぶったワークキャップと、ラフな服装である。更に聞くと、ハコネユモトとヌマヅの間で運送をやって一年なのだそうだ。 「実は俺、竜になって三か月なんすよ」  そう伝えられたところで、昼食を終え、出発になった。再び、蛇のようにうねる旧道を登っていく。 「いやぁ、竜になるって、本当にすごいんすね。不便も不快も本当にないっす。苦手だったコーヒーも飲めるようになったっす」  好き嫌いなんて、ふと直ったりするときもある。そう思ったが、チャーリーが共感の声を上げた。 「あー、俺ェ、野菜食えるようになった! あとピクルス! 前は全然ダメだったァ!」  またこいつも、と私は思ったが、サワは違うようだ。 「でしょー、チャーリーさん、あ、でもなんかチャーリーさんって俺と違う気が……あィッタァ!?」  戦時中よく聞いた跳弾の音がして、サワが悲鳴を上げた。遅れて、銃声が聞こえる。超音速弾だ。ユーラシアン社規格のライフルだろう。世界で一番普及しているやつだ。 「くっそお、山賊っすね!」  サワが急加速する。戦後のこのご時世、治安の悪化に伴う野盗は珍しくない。先ほどの国道一号の工事中の表示は、彼らによる偽物だろう。他に車が走っていない。油断した。 「きっとお二人から身ぐるみはがすのが目的っすよ! 俺の前のトラックはもう仕方ないけど、そうはさせないっす!」  と、軽トラの荷台の壁面が馬車の幌のようにせりあがる。瞬間、激しい跳弾の音と、銃声が嵐のように降ってきた。竜の皮膚は強靭で、傾斜装甲にすればライフル弾くらいはなんてことはない。 「サワさん! 敵は!?」  私は運転席のサワに私は叫んだ。 「森の中っす! ざっと三、四人っすかね!? この先いっぱい増えるっす!」 「おいサワ! タイヤァ、カバーで覆え!」  チャーリーの指示が飛ぶ。私はその間に、カバンのサイドポケットから拳銃の入ったポーチと、逆側から樹脂製の折りたたみ式の肩当てを取り出して、拳銃に装着した。  チャーリーが、私をじっと見ていた。 「ジン、やるのかァ?」  私は肩当てを引き延ばして、安全装置を外し、遊底を引いた。初弾が薬室に入る。 「そうかァ。でも、弾ァ無駄にするのはマイナスだから、俺に任せろ」  そう言うと、彼はサワに指示を出し、伸ばした荷台の壁面を、縮めさせた。ひさしぐらいはあるので、弾をよけるには十分だろう。 一応、私はいつでも飛び出して撃てるように構える。チャーリーは、運転台の後ろに座った。サワがその近くに作った取っ手につかまり、両の手足で突っ張った。 雄たけびを上げて山賊が道の脇から飛び出してくる。改造バイクや、小型のガソリン車が主だ。どこで手に入れたのか、軽機関銃を積んでいるものもある。全員、人間であった。 スラローム走行で彼らの銃撃をサワがよけてくれるが、こちらからの反撃も難しい。チャーリーはどうするつもりなのだろう。 「でけェ音出るぞォ! 耳ふさげェ!」  チャーリーが叫ぶと、彼の翼が変形する。流線形の甲冑のような装甲で体の前面を守り、彼の目には何らかの光学装置が現れる。 そして、両肩に大きな四角柱が一対現れた。左右それぞれに、観音開きになるような小さな扉が更に四対見えた。物々しい戸棚に見えた。潜水艦用のミサイル発射システムだ。 扉が開く。左右合計十六個の小型ミサイルが、ハチの幼虫のように姿を現した。 チャーリーが彼らの車両を舐めるように見つめると、無数の赤い光点が彼の目に灯る。 「撃つぞォ! イヤッホォォオオウ!」  ぼすん、という音で、圧搾空気でミサイルが次々押し出されると、エンジンに点火され、山賊の車両や森の中にいるであろう彼らにまで殺到していった。  無数の爆発音が響く。爆炎は、プラスの感情ばかりの竜仕様なのか、淡い赤、青、黄色と、祭りの花火のように鮮やかだった。遠くで、彼らの車両が倒れるのが見え、曲がり角の向こうに消えた。 「す、すげぇっす……」  サワが感嘆の声を漏らし減速したが、チャーリーの指示で一気に山を駆け上がった。 「爆風だけのコケ脅しだけどよ、こんだけやればビビって追っかける気はしねェだろ」  運転台から降りたチャーリーは、一息つくと「ほら、それ戻せ」と、呆然とした私に拳銃を戻すよう促してきた。私は安全装置を掛け、肩当てを拳銃から外した。

「じゃあお二人とも、お元気で、っす! あと、ありがとっした!」  夕方になって、ハコネユモトの旅館の一つ『まつとみ』の前から、サワの軽トラが走り去っていく。小気味よい警笛を二つ残した。 東に行くということを伝えたら、駅の近いここがいいだろう、と教えてくれたのだ。箱根登山鉄道は、辛うじて無事とのことだ。竜に頼ればなんとかなるだろう。  更にサワは、彼の得意先であるこの宿に私達を取次いでくれた。例の山賊は、流通の一番の邪魔だったそうで、チャーリーが吹っ飛ばしたことを伝えると、二人とも竜割引なる料金で泊めてくれた。この辺りには、流通関係や建設関係でくる竜が多く、客を呼び込むためにこれを導入している宿は多いようだ。復興特需だろう。素泊まりだが、驚くほど安い値段だった。  通された和室は窓からの景色もよく、清流が見えた。だが、食事は自分で工面しなくてはならない。最も、食事の要らない竜向けだからこその、竜割引なのだろう。  陽の落ちたあとのハコネユモトは、観光地としての役割を取り戻していた。湯煙、屋台、土産物屋に賑やかな観光客たち。私も、これが終わればこうなれるだろうか。 「わー、目移りするなァ」  宿から川を超え、駅方面に歩く。チャーリーの腹の虫が、大合唱をしている。 「あんまり金はないぞ」 「じゃあ、駅の向こうまでいって、いいのがなかったらコンビニだァ。日本のはサイコーだし!」  そう二人で決めると、川沿いの道に沿って歩く。どれもチャーリーにはピンとこないようだ。名物のそばは、チャーリーが嫌がった。  駅前を通りがかる。無傷のアーケードの下に、一両編成の真っ黒な乗り物があった。竜が作っているであろう、電気機関車だ。 「あいつ、俺と同じかァ……」  チャーリーと同じ、黒い竜が、運転席にいた。一瞬、目が合った。日本のホタルのような、緑の光を一瞬帯びたのが見えた。反射だろう。竜なのに不思議と、悲しそうだった。  私は、軽く手を挙げた。チャーリーもそうした。その竜も、それに応えた。  結局、駅を通り過ぎてもいい店は見つからず、旅館の近くのコンビニまで引き返すことになった。先ほどの竜はもう姿を消していた。

 コンビニで買った弁当を、チャーリーは二個とも平らげた。明日はどうするのだろう。 深夜、窓際から外を見る。近くを流れる川は、早川というそうだ。この川に沿って鉄道が走り、その先がいよいよオダワラだ。 「いよいよ、果たす相手とご対面かい」  チャーリーが向かいのスツールに腰かけた。浴衣を上機嫌で纏っている。 「見つかるかどうかは分からないけどね」  小さいテーブルに置いたポーチには、明日いよいよ使うこととなる拳銃が入っている。 「俺のこと、聞かねェのか?」 「聞いて、どうするもないからさ」 「そっか。ありがとう」  私が、しばらくこのまま外を見ていることを伝えると、チャーリーは布団にもぐった。

第五幕「ハロー・マイ・フレンド」 「ソバっての、おいしいんだな。昨日食っとけばよかったよォ」  駅構内の立ち食いソバ屋は、始発前から開いていた。チャーリーは夢中でソバを啜っている。店の主人に聞くと、機関車の竜は、キソというらしい。朝早くから待って彼を捕まえるつもりだと伝えると、ここで待つのが一番簡単だと教えてくれた。  あまり腹の減らない私が外で待つ。 『まもなく、一番線に、列車が参ります。この列車には、ご乗車できません』  昨日ここで姿を消した竜だ、おそらく現地民だろう。改札の方から現れるはずだ。  数分待つ。気が早かったか、駅員や運転士の幾人かが蕎麦屋に入って出ていくだけだ。 「おい」  背中から声をかけられた。低い声だ。  振り返ると暖簾の内側から、黒い竜が声をかけてきた。チャーリーと違って、ずんぐりとしているが、だらしなさとは縁遠い体格だ。制服が少し小さいようで、窮屈そうだ。そしてなにより、淡い緑の目は、昨晩見た竜だと確信できた。彼はチャーリーより、幾分か乾いたような黒い肌だが、屈強だ。 「なんだ、改札からかと思ったよ」  彼は少し咳き込んで答える。 「今さっき来たんだ、一番線にな。キソだ。朝飯、一緒にどうだ? 用があるんだろ?」  チャーリーは、二杯目を注文していた。

「あったかくなってきたなァ。桜もきれいだし。オダワラって何が旨いんだァ?」 「魚なら何でもうまいぞ。俺はお前みたいにそんなに食えなくなっちまったよ」  キソの翼が作る電気機関車は、戦時中に見た列車砲に似ていた。彼が咳き込むと一瞬出力が落ちる。運転席の空いたスペースに私達は同乗した。チャーリーは、むき出しの乗降口に腰かけて、頬杖をついて外を見ている。太平洋側は暗く曇っているが青空が見えた。  キソは東西に行き交う貨物を、この路線を使って運ぶ仕事をしていることを教えてくれた。ほかの路線は、復旧中の区間も多く、この路線でも採算が取れるらしい。 「今更だけど、昨日、目が合ったよな、なんとなく、来ると思ったよ」  こちらを横目で見たキソがまた咳き込んで、一瞬出力が落ちた。昨日見たのと同じ目だった。チャーリーとは対照的に、彼は無表情なほうで、とても珍しい竜だ。普段は、少し悲しそうに見えるのだ。 「不思議です。私もそう思いました」 「しかし、オダワラに用事とは、観光か?」  オダワラによく行く彼になら、聞くのもいいかもしれない。 「人を、探しているんです。この人を」  チャーリーには見せないでおいた、イサオの写真を携帯端末に映して、キソの運転の邪魔にならない程度に見せる。 「なんだ、先生じゃないか。知り合いか? 前までよく会ってたよ。メンテでね」  イサオの知人と知って、私は背筋が寒かったが、何もしないわけにはいかない。 「ジンの探してる人って、センセイなのか?」  チャーリーが飛び上がって声を上げた。 「チャーリーも知っているのか? こいつを」  私は腹を決めてチャーリーにもイサオの写真を見せた。背が低い、日本の福の神のような見た目の男だ。 「せ、センセイだ……」 「なんで先生、なんだ? メンテって?」  イサオのことをそう呼ぶやつはいなかった。 「え、えっとォ、この人は」 「俺たちを竜にした、学者先生の一人だ。第一世代は内緒でメンテをうけるんだ。俺も見てのように、体調がよくなくてね」  困惑するチャーリーの代わりに、とキソが答えた。また、咳込んだ。 「じゃあ、第一世代っていうのは」  キソは大きく息を吸って、吐き、答えた。 「文字通り、最初の竜たちだ。軍用のね」  私は確信した。イサオは私の仇だ。キソが、一段と強く咳き込んだ。

 オダワラに到着した。ポーチをサイドポケットから出して、駅の出口で待つ。仕事を終えたキソは、翼を三輪バイクにして、イサオの元まで案内してくれた。たどり着いたのは、埠頭の倉庫だった。崩落した高速道路の高架下の、倉庫群の一つだった。海風が生ぬるい。 海に向かった大型シャッターは閉じている。その上に運送業社の看板が掛けてあった。太平洋東海運送、とある。太平洋重工の系列だろうか、竜に関わる仕事なら不自然でない。 「ここなんだが……ジンさん、あんた、先生の知り合いらしいが、一体何なんだ?」 「古い、知り合いかな。会ってくる。積もる話もあるから、待っててくれ」  私はそう答えると、シャッター横の扉に手をかけた。開いた。チャーリーとキソが何か言っていたが、気に掛けず押し入る。  入って左手は、別の扉だ。恐らく倉庫側への扉だ。目の前は、階段しかない。 二階の受付は空だ。ポーチから拳銃と弾倉を取り出す。ポーチは捨てた。右手に拳銃を、左手に予備弾倉を構えた。 三階の事務室も空だ。ここは太平洋重工のダミー企業だ。超大企業同士で国家間戦争まがいをやるほどだ、珍しくない。拳銃の遊底を引いた。昨日、装填した弾が飛び出た。 四階の社長室は、明かりが灯っていた。ドアを開け、拳銃を構えて飛び込んだ。左、棚だけだ。右、ドアの裏も流し台があるだけだ。部屋の奥、病室のようなカーテンが揺らぐ向こうに、ベッドが見えた。 カーテンを開け、銃を構える。イサオがいた。ベッドの上でうつむき加減だ。こちらを見た。背中に無数のチューブが伸びている。心電図の音が聞こえる。 「やあ、ジンか。来たんだね」  私は天井に向け、一発撃った。破裂音と、天井からの破片が落ちてくる音がした。薬莢がタイル張りに跳ねる音が残る。 「イサオ、私を返しにもらいに来た」  銃口を彼に向ける。心電図に変化はない。  どたどたと、階段を駆け上がる音がする。キソとチャーリーだろう。  イサオの動きを注視する。最後に見たときから姿が変わっている。掛け布団の内側には、人間の体にない不自然なふくらみがあり、動いている。そして、イサオの顔に苔のように生える鱗に、背中にはバックパックが見えた。 「お前、自分を竜に」  ひとりでに閉じていた扉を開けて、キソとチャーリーが飛び込んできた。 「先生! 無事です、か……先生?」 「ジン! やったのか!? って、センセイ」  二人ともイサオの姿を見て絶句した。 「私の心を返せ。いい感情が全く沸かない。何をした! 答えろ!」  私は一歩前に出た。引き金の重さを感じる。 「気づいてないのか」 「何を!」 「ジン、お前は、実験台だ。そのバックパック、おろせたこと、あるか? ないだろう」  私はこのバックパックを下ろしていない。もう何年も。正確には、下ろせない。 「第一世代はな、軍用で作られたが、高出力と引き換えに、マイナスなことに見向きもしなくなった。戦争になんて、特にな。だから、餌や褒美が必要だったんだ。面倒なことにな」  イサオは機器を止め、体を起こした。 「久しぶりだな、キソくん。そっちのは、チャーリーか。何年振りかな」  私はイサオから銃口を離さない。 「君たちは、誰かのためになら喜んで働くけど、人が直接死ぬのを見るのは嫌だったねえ。だから、列車砲を撃ったり、ミサイルで遠くを撃ってばかりだった。強かったけどね」  起き上がったイサオは、竜だった。 「それ以降の竜は、出力を抑えると、人間っぽくなってよかったよ。おかげで医療技術としてメンタルヘルスに役立ってる」  私の手が、震えていた。 「でもだめだった。マイナスがない竜たちばかり増えて、戦争が終わってしまった。戦わなくていいんだもの。なにより、不調を訴える竜も少なくない。特に第一世代に」  頭がくらくらしてくる。 「キソ君みたいにね。プラスばかりじゃ、うまく生きていけないみたいだ」  キソを一瞬見ると、明らかに悲しそうにしていた。再び咳き込んだ。かなり辛そうだ。 「そこで、逆の発想で竜を作ることにした。なに、私一人の発想じゃない」  私は引き金を引いた。破裂音と同時に、イサオの背後の壁が爆ぜた。外した。 「そう、君だ。プラスの感情を押し込めた竜を、まず作ろう、ってね」  引き金を何度も引いた。だが、当たらない。手元が定まらない。引き金が軽くなった。 「プラスの感情を取り戻す方法がないわけじゃない。キソくん、君のメンテもしておこう」 キソは困惑していた。私は、チャーリーに抱えられてイサオに続いた。

「先生? いつもと違いますが」  連れられた倉庫は、空だった。中ほどまで連れられたキソは咳き込み、不審がった。 「どうやら薬や心理療法じゃあ、治らないみたいだけど、この方法なら、マイナスがあった時に……戻れると思うよ?」  イサオはキソの背中側に回り、彼のバックパックを開けた。翼のはずなのに、開いた。  キソは一瞬体を脈打たせるように痙攣させると、叫んだ。 「アアあああああ! 怖い! やめて!」  その場に倒れ伏し、何かに怯えだした。バックパックの口から、黒い何かが一斉に漏れ出し、キソに流れ込む。 「マイナスがないのが不調の原因なら、マイナスを解放すればいい」  のたうち回り何かに怯え、叫ぶキソの体が膨れ上がる。翼が伸び、屈強な体が更に膨れあがり、本物の竜のような姿を形作る。  私は愕然とした。私のバックパックを開いたら、どうなってしまうのだろう。 「気づいたか。彼の一番のマイナスの気持ちは、恐怖だ。君もそれを開いてみるかい? 笑い転げるか、愛にあふれるか、試す価値はあると思うよ」  私は、立っていられなくなった。イサオは、きっと私を利用して、プラスもマイナスも欠陥もない竜にでもなったのだろう。銃口を向けられて心音一つ変えない奴だ。  叫ぶキソは、ますます姿を変化させる。両足には鉄道の車輪が火花を上げ、背中と角の間にはパンタグラフが伸び縮みし、翼の間に列車砲が生えた。彼は恐怖に体をうねらせ、その尾に私とチャーリーは弾き飛ばされた。

 大きな音で気が付くと、倉庫に大穴が開いていた。キソの背中の列車砲は煙を吹いている。キソは、巨体で縮こまってめそめそと泣いていた。 「ジン、おいジン」  チャーリーが声をかけてきた。傷だらけだ。暴れるキソから私を守ったのだろうか。幸い、拳銃は私の手にまだあった。左手に持っていた予備弾倉はなくなっていた。 「チャーリー」 「俺さァ、最初はお前のこと、単に面白いからってついてきたろ? 俺、今は感謝してるんだァ。なんにも聞かなかったお前に」  私は、ただ頷くしかできなかった。 「だからほら、俺がちょっとプラスの感情、分けてやる。勇気だ」  彼は、私の左手を持ち上げると、そこに右手を重ねて、強く握った。そのまま、手を引いて、立ち上がらせてくれる。 「その勇気で、ちょっとだけ、俺のバックパック、開いてくれ。多分、うまくいく」 「そうか、ちょっとだけ、か」 「おう。キソを助けてくる」  チャーリーの背中のバックパックに触れた。見えないが、突起がある。それをつまんで少し動かすと、チャーリーが軽く痙攣した。  開いた口からチャーリーへと、黒い何かが流れていく。チャーリーの体が膨れていく。耐圧装甲を纏った騎士のような竜が猛る。キソより一回り小さいが、不安はなかった。 「こんのやろォ! メソメソ泣くなァ!」  チャーリーが、怒っていた。  私は、左手の中の、もらった勇気を握りしめる。体を起こし、イサオを探した。  チャーリーの怒声と、キソの悲鳴が倉庫に響く。列車砲が啼き、ミサイルが吠える。  イサオは、扉の近くにいた。こちらには気づいていない。彼も茫然としていた。体を引きずって近寄る。拳銃の遊底を引き、左手の中から、もらった勇気を確かめる。チャーリーが弾を一つ、拾ってくれていた。それを、排莢口から銃に込める。遊底止めを外し、掌を打つ感覚がした。  イサオが私に気づいた。プラスもマイナスもない、完全な竜は、怯えているようだった。人間と、何が違うのだろうか。  開いた左手を背中に回し、探った。少しだけ、開ける。沁み出た気持ちは、感謝だった。 そういえば、戦場で死んだ竜の戦友にも助けられた。チャーリーにも、ナガラにも、サワにも、キソにも。そして、このアイデアをくれたのは、イサオだった。 「言った通りだったよ、ありがとう」  自分の姿がどうなっているかは分からない。ただ、引き金を引いたとき、照準はあっていたし、放った光が、当ったのが見えた。

 次に気が付くと、倉庫は吹き飛んでいた。温かい春の日と、ぬるい雨が降っている。 「うう、ぐす、なんで、俺泣いてるんだ?」 「あァー、もう、キソよォ、なんで俺怒ってるか、知らねェか?」 「「でも、なんかすっきりしたな」ァ」  二人とも幾分か縮んだが、見上げるくらいの大きさの竜の姿をしていた。 「ジンも、竜になっちまったか」  携帯端末を出して、消えた液晶に映った自分を見ると、白い竜だった。 「でも、前より勇気がある気はするよ」