その日、解体所に最初に入ったのは狼と犬のコンビだった。狼は人間のような二足歩行寄りだが四足獣の特徴も混じった形、犬の方は四足獣をそのまま後足二本で立たせたような形をしている。 一番乗りではあったが特段早さを競っていたわけではないので、淡々と獲物を下ろして道具を取りに行く。血抜きは獲った現場で枝に引っ掛けて済ませてあるので、獲物を吊るすフックは要らない。手と爪を入念に洗い、清潔な木の板と簡素なナイフだけを持ってきた。まずはナイフで皮に一筋の切れ目を入れたら、鉤爪で肉と皮を離していく。肉とモツの処理も同じ要領で、ナイフと鉤爪で迅速に処理していった。 そうしている間に他のチームも三々五々帰着し解体所に入ってくる。その姿形は様々だ。最初に紹介したコンビとは逆に犬一人と狼一匹のコンビもいるし、豹一人と犬2匹のチームや猛禽系鳥人と猫のコンビもいる。 姿は違っても、同じ施設を使うというのもあり行動は似てくる。皆同じように獲物を下ろし似た道具を取りに行く。そして役割分担も大体似たものだ。獲物に攻撃を加えたり刃物を使って解体したりという危険な事は、ほぼ、二足体型の者たちの役目。四足体系の者たちの役割は獲物を探して知らせる事や解体後の皮・肉を運ぶ事など、安全で器用さが必要ないものが多い。 こうした分担になっている理由は、四足体系の者たちの上肢が手としても使えるが足として走行により適した前足の形・役割に寄っているというのが一つ。もう一つは、四足動物や原型の鳥に似た体系の者たちは性格も役割も動物的であり二足寄りの者たちから可愛がられているため、二足寄りの者たちが危ない役をさせたがらないからだ。 一番乗りだった狼・犬コンビを例に挙げれば、狼が皮剥ぎを始めてすぐに犬は隅で寝そべり、皮を運んで戻ってくれば解体中の肉をじっと見つめ、狼と一緒に肉を運んだあとは片付けの終わりを待ってじゃれ付く。そんな行動で和やかな雰囲気を醸すムードメーカーが彼ら/彼女らの主な仕事でありその傍らで猟犬もする、といった生活をしているのだ。 そんな犬を伴って寝場所へと歩きながら、狼は、いつもの習慣で遠くへ目を向ける。この村を含め6つ用意され六角形に並んだ居住区と、その六角形の中心に住まう竜にだ。 「主様」 竜に呼び掛けたわけではなく、尊敬や畏怖が口を突いて出た。これもいつもの事。それを聞いた他の住民が話しかける。 「主様、今日も綺麗だよね」 「綺麗だよな。鳥の目で見てもやっぱりそう思うのか。俺は人狼だから色の見え方は昔と変わらないけど、そっちは鳥人にしてもらって色の見分け能力も上がったんだろ?」 「うん、上がったよ。よーく見える。綺麗だよ。」 どう見えてるのかよく分からない感想だったが、とりあえず綺麗らしい。狼も別段詰問する気はないのでそこで会話は途切れる。元は人間だった住民の多くは、人間だった時より音声言語での会話が減った。この猛禽は特にだ。この姿にしてもらう前は、言葉で詳細まで伝えようとし過ぎて自分で苦痛に感じるという悪い癖があったが、姿と共に言語能力も調整してもらった事でその苦痛からは解放された。 元は動物だった住民は当然と言えば当然だが、音声言語使用が増えた。今は狼の足元で大人しく竜に目を向けている犬は、元は動物だった住民で、元飼い主・現相方の狼に「遊ぼっか」「散歩行こっか」「一緒に寝よっか」などと言っては周りから暖かい視線を浴びている。自分が愛犬によく聞かせていた言葉をオウム返しに返された狼は少々気恥ずかしかったが、感情や条件反射の調整をしてもらっていたおかげで照れ隠しはせずに済んだ。 思い返しても、竜に出会ってからはほぼ幸せな目にばかり遭っていると狼は思う。この点は他の住民も同意見だった。姿だけでなく思考の癖・行動の癖まで調整を受けた結果、快適に過ごせている者ばかりだ。人格の根本に手を付けられた者はおらず、皆、精神の枝葉末節の小改修だけで十分に救われている。 なぜそこまでしてくれるのか、高度かつ繊細な業で助けてくれるのかという疑問を、人類と竜達が接触した頃に人類側から尋ねた事が数度ある。返答はいずれも高度なもので、人類人口の大半にとっては全く理解できないものだったが、一部の人間によってどうにか理解された部分を要約すると「理性と本能に挟まれて生きる様が見ていて可愛らしい」となった。小動物のような言い草だと憤る声も当初は上がったが、人類のはるか上を行く知能と巨体と魔法にしか見えない何かを見せられては、可愛らしいという言い分も納得せざるを得なかった。 こうした経緯で、竜による保護区・居住区が世界各地に設置されている。元通りの暮らしが出来る保護区もあれば元より遥かに高度で安全・安心・楽な暮らしが出来る保護区もあり、そして獣人村を初めとして多種多様な居住区が整備された。 こうして今日、獣人村では竜の愛し仔たちがペットを伴侶にして暮らしている。