ぼくの友達に、カリナという子がいた。カリナは今日も、待ち合わせ場所で待っていてくれていた。  放課後、ぼくは通学路から少し逸れた溜め池に向かう。池の近くにはくたびれた色のベンチがあって、そこにカリナは座っていた。 「やあ」  ぼくが声を掛けると、相手も 「やあ」  と言って大きくてふかふかとした手を振った。  カリナは、ぼくや、ぼくの学校の同級生とは少し違う見た目をしていた。どころか、カリナみたいな子を、ぼくはカリナ以外に知らない。体じゅう桃色の毛で覆われていたし、長くて柔らかそうな尻尾が生えていた。目はぼくより大きくてまんまるで、鼻や耳はつんと尖っている。  ぼくがベンチに近づくと、カリナは立ち上がって、ぼくを抱きしめた。いいにおいがした。 「や、やめてよ」  僕は恥ずかしくなってそう言ったけれど、カリナは離れなかった。これがこの子の挨拶なのだ。僕が力づくで押しのけて、ようやく相手は諦める。  ぼくは不思議でたまらなかった。ぼくが他の友達と喧嘩して、ひとりでベンチで泣いていたときに、突然現れて抱きしめてくれたのがカリナだった。  でも、僕はもうあの時とは違う。泣き虫じゃないし、甘えるような子供でもない。友達とだって仲直りしたんだ。だから、カリナがこうしてべたべたしてくるのが、今日はちょっぴり嫌だった。 「今日も学校楽しかった?」 「う、うん」 「先生に怒られたりしてない?」 「大丈夫だよ」 「よかった」 お互いに黙りこくる。ぼくはバツが悪くなって、でも今更謝るのも格好悪いから、てきとうに口を開いた。 「カリナ、どうしたの? 何か変だよ」 「なんでもないんだ」 「なんでもないなんてことがあるもんか」 「……ずっと、友達でいてくれる?」  突然、カリナはそう聞いてきた。やっぱり今日のカリナは変だ。 「当たり前じゃないか。ぼくがきみと友達じゃなかったことなんてない」 「うん」  カリナの声が少し擦れていた。なぜなのかは分からなかった。 「ずっと友達だよね」  それから、ぼくたちはいつもみたいにふたりだけで遊んだ。日が暮れてからバイバイをして家に帰った。そうして、それから、次の日にカリナが待っていることはなくなった。その次の日も、その次の日も、あの桃色の毛並みの友達はぼくの前から姿を消したのだった。 「カリナ」  途端に心細くなった。体の中が全部空洞になってしまったようだった。雨の日も風の日も、ぼくはあのふわふわの尻尾が木の陰から覗いてはいないかと目を凝らしたけれど、ついに現れることはなかった。 「……?」  いつの間にか季節が巡って、とうとうぼくは友達の姿が思い出せなくなってしまっていた。どんな声や形をしていたっけ。名前も靄を掴もうとするようにすり抜けて、消えていく。ぼくの友達は、いったい誰だったっけ?

 進級して、また進級して。最高学年になった。僕にとってこの数年は、特に思い出に残ることもなく、空っぽだった。小さい頃から続く胸のひりつく感じを覚えながら、僕は今日も学校に向かう。  授業は退屈だったけれど、不満があるわけでもない。僕はひとりで移動教室に向かい、みんなから少し離れた席についた。一時間目は、絵を描く課題が出た。あなたの好きなものを描きなさいと、先生は言った。  好きなものなんて、思いつかなかった。どころか、僕には嫌いなものも、何もかも、なかったのである。  クラスメイトは各々好きな食べ物や、家族や、友達を描きだした。僕は次第に焦っていくのを感じて、みんなに倣って手を動かすことにした。  風景がいい。ふいにそう思った。好きなひとなんていないし、描くのが難しいから。僕はてきとうに下書きをして、さっそく桃色の絵の具を取り出した。  手がぴたりと止まる。  どうして僕は桃色を選んだのか、自分で分からなかったからだ――僕はただ、小さいころに寄り道をした溜め池を描こうとしただけなのに。桃色の溜め池なんて、ありえない。  僕が固まっていると、足元をふわふわしたものが掠めた。  急いで振り返る。そこには何もなかった。でも、僕は確かにさっき桃色の何かを見た。 「……っ」  喉から声が出かかって、消えた。僕は目を閉じて、深呼吸をする。それから、筆を勢いよく掴んだ。何も考えずに筆を滑らせる。僕は思い出そうとしていた。パレットを持つ手が震える。ぼんやりとした像が、だんだんはっきりと、筆の毛先から滲み出てくる。  ああ、そうだ。こんな風に、ふわふわで、抱きしめると暖かくて、とてもいいにおいのする、友達が僕にはいたんだ。  チャイムが聞こえた瞬間、僕は立ち上がって、廊下に飛び出した。荷物も何もかもそのままに、あの思い出の待ち合わせ場所に向かう。  くたびれたベンチは、いつもと変わらずそこにあって、そこに、あの子は座って僕を待っていた。 「カリナ!」  僕は声を絞り出した。 「やあ」  大きくてふかふかとした手を振って、相手は笑った。僕はカリナが立ち上がるのも待たずに、強く抱きしめた。 「カリナ、ごめん」 「うん」 「ずっと、ここにいたんだろう? 僕は、そんな君を忘れて、置いてってしまってたんだね」 「うん」 「カリナ。僕たち、ずっと友達だよね」 「もちろんだよ」  僕が抱きしめているせいで、カリナの声はもごもごと聴きとりづらかった。けれど、僕はそれで充分だった。それからようやく僕はカリナから離れて、向かい合った。これから僕の大切な友達と、どんなことをして過ごそうかと、考えるだけで踊りだしそうな心地がした。毎日、一生、いつまでも、僕はカリナのことを忘れないだろう。  暖かい風が、僕たちの間を吹き抜けた。

「400字詰め原稿用紙換算での枚数…8枚」