サーカスの花形スターのトラが病気で死んだ。このままでは次の巡業の集客率に影響が出る。団長は代役のトラを探すなど手を尽くしたが、芸達者なトラはなかなか見つからなかった。一から芸を仕込むとすると時間がかかるだろう。途方に暮れた団長が街をさまよい歩いていると、路地裏の雑居ビルにひっそりと貼られているポスターが目に入った。

  『 キ グ ル ミ 普 及 の 会  どんな動物の着ぐるみでも精巧に製作いたします!  秘密厳守! まずは事務所にてご相談ください』

   ポスターには作例として、本物と区別のつかない着ぐるみ動物の写真も載っていた。いや、これは本物の動物の写真で、釣り広告の詐欺かもしれない。団長は胡散臭いものを感じたが、藁にもすがる思いで、雑居ビルの一室の事務所を訪れてみた。 「本物とそっくりの着ぐるみを作れるそうですが、トラでも可能でしょうか?」 「動物であれば何でもできますよ。トラの場合ですと代金はこちらからとなりますが…」  受付の者にカタログを差し出され、実物のサンプルも見せてもらった。多少値が張るが、大勢の観客の目の前に出しても、着ぐるみとバレる心配のないクオリティだった。これならいけそうだ。そう判断した団長は、納期などの細かい契約を話し合いで進めていった。  使用用途は後ろ暗いものであったので聞かれると困るのだが、何も詮索されなかったので少々拍子抜けしてしまった。 「このような精巧な着ぐるみを製作できるとは、驚きました。しかしあまりのリアルさに、よからぬことに使用されるのではと心配になりませんか?」 「わたくし共は商売人として、代金に見合ったクオリティの商品を提供しているだけです。どんな用途で使おうと、それはお客様の勝手です。ここでの取引の情報は一切外部には漏らしませんので、その点についてはご安心ください!」  この言葉を信じることにして、団長はその日のうちに代金を振り込み、購入契約を結んだ。

   数週間後、サーカス団の事務所に大きめの荷物が配送されてきた。箱を開けたら、本物と見間違えるようなトラの頭のかぶりもの・ファスナー跡が目立たない着ぐるみが封入されていた。同封の説明書によると、小柄な人間に着せることで本物そっくりに動けるようだ。指先も動かせ、ある程度は表情も操れるらしい。暑さ対策は完全にはされていないので、炎天下での長時間の使用は控えるようにと注意書きがされていた。  団長はサーカス団の中から、秘密裏に着ぐるみの中に入る者を選別した。子供の頃から一座で育て上げてきた軽業師だ。公演中は衣装を外して素に戻らないほどのプロ意識と技量が備わっている。団長への忠誠心もあり秘密を漏らすことはないだろう。トラならではの自然な動作を覚えさせ、着ぐるみトラを使った簡単な演目を考え出した。これならいける、と判断した団長は告知を打ち出した。

  「さあさあ皆さん、お急ぎでない方は見ておいき。世にも珍しい、計算のできる天才トラが大活躍するサーカスがはじまるよ~!」  ピエロがビラを配ると、道行く人々が半信半疑でも興味を示してくれた。もの珍しさにひかれて会場入りする者も多く、集客は上々だ。  メインイベントの天才トラが登場する演目が始まった。  ステージに『0』~『9』の数字ボードを円形に設置し、猛獣使いが『2+3=?』のプラカードをトラと観客に見えるように掲げると、少々考えてからトラは『5』の数字ボードに向かって歩いていく。 「あらかじめ出す問題と行く場所を決めてるんだろ?」  という野次もこの段階では出てきた。しかし見どころはこれからだ。次からはランダムに観客を選出し、『5+1=?』『2×4=?』などの多数のプラカードから選ばせる。どれを選んでも、トラはスタスタと正しい答えの数字ボードに向かって歩いていった。観客から大歓声が沸き起こった! これほどの反応があれば演目は大成功だ。  公演後の観客の感想も様々だった。 「なんて賢いトラなんでしょう! 感激したわ!」 「あんなかんたんなけいさん、ぼくだってできらあ!」 「きっと当たりのボードに、肉の匂いでもつけてるに違いない!」 「いや、猛獣使いが密かに合図を送ってるんだろ?」  見当違いの憶測を好き勝手に吹聴する者も出てきたが、それも一種の話題作りになる。純粋にトラの天才っぷりを楽しむ者と、我こそはと種明かしに躍起になる者も訪れて、サーカスは公演のたびに大盛況となっていった。  こうも有名になってくると、製作元の『キグルミ普及の会』から秘密がマスコミに売られたり、こちらが脅されることも危惧はしていたが、いっこうにその兆しはなかった。向こうもプロだ。「秘密厳守」という言葉に偽りはないのだろう。  着ぐるみトラの活動できる時間と環境は限られており、欲張って秘密がバレてしまったら元も子もないので、火の輪くぐりや綱渡り・ライオンとの決闘などの危険芸はやらせないことにした。もともと腕の立つサーカス団なので、天才トラ以外の演目でも客を魅了することができたのだった。

   サーカス団の評判は響き渡り、「陸の孤島」と表現するのがふさわしいような、山の中の小さな村から貸し切り公演の依頼が来た。一座の遠征費用がかかってしまうが、それも込みで出してくれるようだ。 (辺鄙な村ではあるが、何かの産業で潤っているのだろうか)  団長は疑問を抱いたが、料金が支払われる以上、プロとして断る理由はなかったので遠征を決定した。現地に赴くとまず村長に歓迎され、村人をほぼ総動員して観に行くことを約束してくれた。  公演当日、村長の言葉のとおりに大勢の村人がテント内に集結していた。  サーカスの幕が開いた。この村に娯楽が来るのがよっぽど珍しいのだろうか、観客は顔色一つ変えずに食い入るように見ている。  演目をいつも通りにこなし、メインイベントの天才トラの演目に移ると、団長はふと異変に気付いた。テント内が蒸し暑い。当日は猛暑日を記録しており、盆地の環境も影響して、テント内の室温はみるみるうちに上昇していた。ついに空調設備で補えるレベルを超えてしまったのだ。客席側から舞台全体を監視している団長ですら蒸し暑さを感じる。スポットライトの当たる舞台上では、なおさら耐えられないだろう。着ぐるみトラの中の軽業師にはプロ意識があるものの、あまりの暑さに頭を取り外すかもしれない。かといって差し掛かった演目を無理やり中断するわけにもいかなかった。  暑さによるいら立ちが客席からも伝わってくる。もうバレるのも時間の問題だ。そう覚悟した団長は、今後の活動を取り繕うための懇願の言葉を必死に考えていた。 (着ぐるみを着ていたことがバレたら我々の死活問題になります。どうか内密にお願いします…)

「もうだめだ、暑くてこんなの着てられないよ~!」  声がしたほうを見ると、最前列で観ていた子供が頭に手をかけ、なんと取り外した! 外れた頭部があった場所に、一回り小さい銀色の頭部があらわになっていた。  団長が想像を絶する光景に度肝を抜かれていると、 「もう、人間に化けているのも大変だ。きゅうくつでしょうがない!」 「久しぶりの娯楽だから、しっかりこの目で見たいわ!」  それが呼び水となって、観客の大人の村人達も次々と被り物の頭を外し始めたのだった。体の部分を脱ぎだして銀色の痩身をさらけ出す者もいる。まるでSF映画でよく見かける宇宙人のような姿だった。  騒然となった会場の混乱に乗じて、なんとかトラを着ぐるんだまま舞台裏に戻すことができた。楽屋ではサーカス団員達が、目撃した客席の光景にざわめいている。その最中、公演を依頼した村長が訪れてきて、低頭の姿勢で懇願してきた。 「我々が着ぐるみを着ていたことがバレたら死活問題になります。どうか内密にお願いします…」 (しかし、あのような精巧な着ぐるみを、どこで…)  こう問いかけようとして団長は思い至った。『キグルミ普及の会』はどんな動物の着ぐるみも作れるのだから、人間の着ぐるみを宇宙人相手に売っていても不思議ではない。  こっちもプロだ。秘密は厳守しよう。

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