変わりゆく夕日

「おっはよー! まひるん!」  駅前広場。鈴の音の様に高く、透き通る様な澄んだ声。  白い猫耳帽子を被り僕に手を振る女の子は、『ゆうひ』だ。 「おはよう。今日はいつもの格好なんだね」 「もっと、にゃーっ、ってなってた方が良かった? それとも、がおーっ、とか?」 「どの姿でも楽しみだよ」 「本当にそうなのかな~どんな姿でも~?」  なんて得意げな顔をするゆうひにほだされて、顔がほころんでしまうのを我慢できない。  でも僕は本当に、ゆうひがどんな姿だって良いのだ。 「始まっちゃうよ! 行こう行こう!」  ゆうひが僕の手を取って歩き出す。よく見ると帽子の耳がぴこぴこ動いてるのに気付いて、嬉しくなった。

「キャラメル濃いとこ食べる?」 「ゆうひが食べていいよ」 「ありがとっ、でもいつでも食べていいからね!」  なんてゆうひが山盛りのキャラメルポップコーンのソースが沢山かかったところを、まるで宝物のようにきらきらと見つめ、おいしそうに頬張る。  リスみたいだと思う。そう言えば、リスはまだ見たこと無かったな……。……いつか、見れれば良いな。  ゆうひは甘いものに目がなくて、あっちこっちでよく買い食いしている。  それだけじゃなくてゆうひは小柄なのに特大サイズのコーラを買ってて、絶対飲みきれないよな……と思ってたら視界が暗くなる。  ゆうひが映画を見に行きたいと言ったのがちょっと意外だった。ゆうひはアウトドア派で、海や山や川や森によく一緒に遊びに行っている。むしろ今日みたいに街で遊ぶのは珍しい方だ。  音と闇に紛れる。ゆうひがひじ掛けに置いていた僕の手の甲の上にそっと手を置く。  ふわっとして、続いてぷにっとした感触。  ちょっとのことじゃ動じなくなったはずだった虚勢はすぐ崩れて、ドキッとする。  ゆうひの鼻は逆正三角形になって、ほのかにピンク色。  帽子は今は取ってるから、耳の位置は移動していない。だけど、耳の形はいつもより長く根元が大きくなって、先も三角に尖ってる。本当に器用だ。 「あはは」  ゆうひが今笑ったのがギャグシーンだったのか、単に笑いかけてくれたのかは分からない。  白い牙がちらっと覗く。

「面白かったね!」 「うん、来てよかった」  見事にコーラとポップコーンを平らげたゆうひと、僕は映画館の入っているショッピングモールを出て、賑やかな通りを歩く。  昼食はどうしようかな、と思っていると、ゆうひがにひっと笑う。  こうなると僕には止められない。ゆうひの白い鞄を持ってあげると、ゆうひはごく狭い路地に隠れる。 「まひるんがどぎまぎしてる顔、好きにゃ」  声に続いて、真っ白い猫が路地から出てきた。 「……」  黙っていると、 「うみゃっ」  ゆうひがからかい調子に頬を膨らませる。何か話してよーと言わんばかりに。  変身している時のゆうひは、わざと僕を喋らせようとする。いや、返事をしたいのはやまやまなんだけど……。  いつもの様にゆうひを、そっと右肩の上に乗っけた。 「くすぐったいよ」  細長いしっぽが僕の右の頬を撫でる。 「みー」  ゆうひは得意げな顔をしていて、その証拠にひげはぴんと張っている。  こっちが本当のゆうひかもしれないんだ。僕がそれを知らないだけで。

 当然だけど注目を浴びる。  だけどゆうひは涼しい顔だ。  僕も慣れてきた。なんてことはない、猫を肩に乗せてるだけの人だ。  涼やかな風の中を歩いていると、大きな公園に着く。お昼時だからか人はまばら。みんな、ショッピングモールの方に行ったんだろう。  僕がベンチに座るとゆうひがぴょんと左隣に飛び降りる。  一瞬でゆうひが猫耳帽子の人の姿に戻る。  でも……。 「くすぐり攻撃~えい、えいっ」  しっぽは残ってる。でも、その形は猫じゃなくて白い犬だ。それを僕の顔にぽふぽふと当ててくる。 「おのれ~!」  あまりに荒っぽい撫で方に、しっぽをくすぐり返そうとすると、ゆうひはきゃ~っと笑ってクレープの屋台に駆け出して行ってしまった。  当然だけど、しっぽはしまってない。こんなことでしっぽをしまったりしないのがゆうひらしい。  ……まあ、いいか。

 ゆうひと並んでクレープを食べる。  二人ともアイスの入ったやつで、ゆうひはいちごで僕はバニラ。  ゆうひも僕も食べるのが上手くなくて、ぽたぽたと溶けたしずくが落ちてくる。  今のゆうひの舌はポップコーンを食べてる時よりも薄くて長くて、べろりとアイスを美味しそうに舐めている。 「ついてるよ」  と、ゆうひが僕の口元についたアイスを取ろうとする。  その瞬間に、ひやり……と冷たい感触が走る。背筋が一瞬、ピンと張る。 「あはは、びっくりした?」  見れば、アイスの付いたゆうひの人差し指の先が鋭い鉤爪(かぎづめ)になっていた。  大きく口を開けてクレープを完食したゆうひに白い翼が生える。飛び出していく内に鍵爪が揃い、嘴が生え、白い鳥になって飛び立つ。  空中を旋回し、こっちに帰ってくる……かと思いきや、 「あっ」  手元にあったはずの僕のクレープが無い。振り向けばゆうひが両足に引っ掛けている。  底の方にクリームが溜まっていておいしそうだったのに。  もしかして僕はゆうひにからかわれっぱなしなんじゃ?  それからゆうひは大きな木の中に留まる。すると頬をもごもごと膨らませた白いリスがしゅたたたと木から降りてきて。  そうだ、ゆうひのリスの姿を見るのは初めてだったんだ。そばで見てみようと座ったまま待ってると、近付くにつれどんどん体が大きくなる。何なら顔立ちも骨格も変わっていく。 「わっ!」  思いっ切り体当たりされベンチが軋んだ。鼻先にゆうひの黒い鼻が当たる。 「……犬?」 「残念!」 「じゃあ、狼?」 「ご褒美!」  べろん、と大きく顔を舐められてぬるっとしていちごの香りもしたけど、ゆうひが楽しそうなら僕も楽しい。

 ゆうひがまた猫耳帽子の人の姿になると、ショッピングモールに戻る。  欲しかった机の上で育てるための小さなサボテンを買ったら今度はゆうひの番。  ゆうひはアパレルショップで帽子を選ぶ。今度は変わった耳のが欲しいんだとか。  帽子なのに試着室に入る。ちょいちょいと、カーテンの隙間から出た手が白いもふもふになっている。  まるで手袋を買いに行く子ぎつねみたいだ。そう言えば今日はまだ狐にはなってないな。  期待しながらカーテンを開けたら。 「!!!」  大きな白熊。試着室を埋め尽くすぐらいの。天井に頭をぶつけそうなぐらいの。  試着室の前で腰を抜かす僕。ゆうひがからからと笑って出てきて、それから熊……じゃなくて狸だったらしい丸い耳の帽子を買った。被ってみて欲しかったけど、次回のお楽しみらしい。  滅茶苦茶驚いたんだけど……という目線にゆうひは、ぽんぽんお腹を叩いて返事をした。

 それから早めの夕食をパスタ屋さんで食べる。ゆうひの姿は変わらない。  終わったらショッピングモールの中をぶらつく。ゆうひの姿は変わらない。  ショッピングモールから出れば風が当たる。外は夕焼けに染まっている。  駅の方面とは逆方向の海辺に行く。ゆうひと並んでオレンジ色の道を歩く。  ゆうひの姿は変わらない。でも、それでも良いんだ。

 僕の胸当たりの高さの柵の向こうに海、それから港。いくつかの客船の明かりが遠くきらめいている。  猫耳帽子がぴこぴこと動く。にゅっと細長いしっぽが生える。  何かを言いたがっている時のゆうひは、大体しっぽをゆらゆら揺らしている。 「気になったりしない?」 「……何のこと?」 「嘘つくの上手くないねえ」 「……バレた」  またもほだされて思わず笑ってしまう。 「鳥。犬。リス。狼。熊」  指を折って数えるゆうひ。 「人間」  そして、ゆうひが。 「――猫」  猫のひげを生やす。  だけど、顔や体に白い毛は生えない。  顔は肌色だけど鼻と耳だけ猫になってて、猫のひげとしっぽが生えてる曖昧な姿だ。 「わたしは一体、どれでしょう?」  ゆうひは得意げだ。  心の底からはしゃいで、柵を後ろ手に掴んで、自分の体を持ち上げて足をぶらつかせている。 「猫?」 「さて?」  ゆうひが首を傾げる。 「人間?」 「ふふん、どーれかなー?」  ゆうひがしゅたっと軽やかに柵から降りる。  ゆうひが言わせたい言葉は分かってる。 「どれでもいい」 「ふふーん、何で?」 「だって……どの姿でもどうであれ」 「うん?」  ずいっと顔を覗き込んでくるゆうひを抱きしめた。 「……。大好き」 「えへへ~、照れ屋さんでもよく言えました!」  ゆうひが二足歩行の猫人間みたいな姿でぎゅっとする。  本当に言われたいことのくせに、言うたびにいつもからかい調子だ。  それとも僕が、本気で言ってるってことを伝え切れていないのかもしれない。 「本当だよ、ゆうひ」  でも僕は本当の本当にそう思っているのだ。  僕は出会う前のゆうひのことを一つも知らない。ゆうひがなぜ変身できるのかを知らない。ゆうひがどんな道を歩いてきたのかも知らない。  ゆうひが元々どんな姿だったのか。知らない。  ゆうひが一体何者なのか。それも知らない。  ゆうひは話さないし、僕も聞いたりしない。  だって。目の前には色んな姿のゆうひがいて。  僕はその全てのゆうひが好きで大好きで、惹かれている。 「……ありがと」  猫っぽい顔のまま、頬が赤く染まっていく。  人のことは言えない。顔が熱い。僕はゆうひ以上に真っ赤になっているんだろう。 「好きだよ。好きっ。好き、好き」  赤面をごまかす様に、ゆうひの顔は毛に覆われる。それは照れた時のゆうひの癖で。  でも。ゆうひはいつも気付いていないみたいだけど。  その頬の毛の白も、今は夕日色に変わって、もっとゆうひに惹かれていく。 (10枚)