僕は震えていた。これほど美味いラーメンは食べたことがない。  麺ももちろんであるが、何よりラーメンの味を決めるのはスープだ。この店では鶏ガラをベースにしている。  今でこそメジャーであるが、豚骨・鶏ガラ系は非常に難しい。  まずたっぷりの水で鶏ガラの血抜きを行う。半日から一日以上をかけてしっかりこの工程を行っておかないと生臭さが残ってしまうのだ。  次に下茹でだ。しっかり血抜きした鶏ガラを30分ほどかけてじっくりと下茹でする。大量に出てくる灰汁の処理がこれまた大変なのだ。  丁寧に処理をして完成・・・ではない。なんと煮込んだ水を全て捨てるのだ。  ここまでの工程を経てはじめて鶏ガラベースの出汁が取れるのである。

 「おっ!兄さん、見ない顔だな。うちははじめてかい?」  店主の豚獣人の声ではっとした。また僕は自分の世界に入っていたらしい。  「ええ、まぁ」  咄嗟の事態に愛想の無い返事を返してしまった。  確かに僕がこの店に来るのは今日が初めてだ。大学へ通うため田舎からこの街に越してきた。  都会の空気はちょっと慣れるのに時間が掛ったがこの街の雰囲気は悪くない。  そして私は大のラーメン好きだ。この街に来る前から付近の美味しいラーメン店は全て調査済みである。  「どうだい。うちのラーメンはうんめぇだろ?」  カウンターを乗り出し僕に顔を近付けてくる店主。予想外にも綺麗な歯を見せニシシと笑った。  「ええ、とても」  少しぎこちない感じで僕は言った。  厨房はグツグツと煮えた大きな鍋が2つあり高温多湿なのだろう。寒い季節だというのに店主の額には汗が流れている。頭にはタオルが巻かれ、まさに昔ながらのラーメン親父といった感じだ。  店の雰囲気も悪くない。オシャレとはお世辞にも言えないが、小さな店構えにカウンター席が4つのみ。  天吊りの棚には古めかしいテレビが置かれている。ちょうどお昼のワイドショーをやっていた。『痛快!ウルフTIMES』というイケメン狼獣人の司会者が歯に衣着せぬ発言をすることで人気の番組だ。  近辺で最近起きた子供の行方不明事件を特集している。やはり都会は物騒だ。  今僕の他には土建屋の牛獣人と馬獣人の2人。豪快にラーメンとチャーハンをかきこんでいる。  土汚れの残るTシャツに筋骨隆々な肉体美が非常に絵になる。つい自身のか細い脚と比較してしまった。  「らっしゃい!お、徳さんいつもありがとうね。はいはい、いつものね」  山羊獣人の老人男性が入店する。常連のお客さんだろうか。これですべての席が埋まったのでなるべく店の回転率を下げないよう僕はごちそうさまと店主に告げて店を出た。店の引き戸を開けると背中から毎度!と威勢の良い店主の声が聞こえた。

 アパートの自室に戻りごろりと横になる。なぜだろう。頭からあのラーメンの味が離れない。これまで幾多ものラーメンを食べてきたがこんな感情は初めてだ。  特にあの濃厚なスープは何なんだ。鶏ガラだけではない。多種に及ぶ野菜のエキスもしみ込んでおり濃厚ながらもしつこくない逸品に仕上がっている。  さらに僕の中に邪な感情が芽生えだす。  あのスープの秘密が知りたい。  抑えきれない欲求に魅せられ僕はその夜行動を始めた。

 夜10時。店前の曲がり角の陰に僕はいた。  最後の客を見送り、店主が暖簾を下げる。そしてしばらくして店内の電気が消えた。  僕は極力目立たぬよう、あらかじめ調べておいた裏口から店内へと侵入した。  真っ暗な店内の厨房に入る。いくつかある寸胴鍋を音を出さぬよう慎重にあけていった。  そして見つけた。これがスープの主役の鶏ガラだ。  しかし僕は気付いてしまった。いや、僕だからこそ気付いてしまったのだ。  「これって・・・」  足元に何かが当たった。拾い上げてみる。  どうやら名札のようだ。たしか隣町の小学校で生徒に配布されるものだったはずだ。名前の所には平仮名で「たなか けいた」と書かれていた。  僕はその名前に見覚えがあった。  たしかあれは・・・  その時背後に気配を感じた。ゆっくりと振り返る。  店主が立っていた。昼間に店で見たあの屈託のない笑顔はそこには微塵もなかった。  「あの・・・すみません。ハハ・・・」  悪戯がバレた子供のようにおちゃらけた表情で僕は言った。  店主は全く表情一つ変えない。美術室の石膏像のように何の感情も感じ取れなかった。  あまりの恐怖に僕は逃げ出したかった。  「うわあああ!!!!!!」  入ってきた裏口へ逃げるため目の前の店主を押しのけようと両腕を伸ばす。  だが店主は軽々と僕の腕を止めた。そして僕の体を後ろから羽交い絞めにし、声を出せぬよう僕の口を2本の蹄でしっかりと閉じた。  「んーー!!んーー!!!」  大声を出そうにも声にならない。体全体で抵抗を試みる。全く歯が立たなかった。空しい抵抗音だけが響く。  店主が僕の首に腕を回した。じわじわと締めてくるのが分かる。  目の前がだんだんと白くなる。遠のく意識の中で店主が僕の耳元で何か言っていたような気がするがほとんど僕の耳には届かなかった。

 「さあ、本日も始まりました『痛快!ウルフTIMES』のお時間です。本日も午後1時までお付き合いくださいませ。さて一昨日、当番組でも取り上げましたT町での小学生男児失踪事件ですが、なんと新たな失踪者が出てしまったそう・・・です。えーこの2つの事件、ある共通点が浮かび上がってきたことで大きな動きがあったそうです。現場に鰐口リポーターが向かっておりますので呼んでみましょう。鰐口さーん!」

 【獣人新報 3/2記事より】  O県警は1日未明、T市内の大学に通う鶏獣人の男性、鳳友介さん(18)が行方不明になったと発表した。  T市では先日、同じく鶏獣人の田中鶏太くん(7)が行方不明となっており、同県警では何らかの関連性があるとみて、現在調査を行っている。

(原稿用紙8枚)