背中合わせだと君の顔は見えない。でも、君も僕の顔が見えなかっただろう? 僕は君がどんな顔をしていたか知らない。でも、君も僕がどんな顔をしていたか知らなかっただろう? そんな中でも、君の温もりは忘れた事は一度たりともない。背中から感じる君の温かさは確かにあった。君はその温かさを教えてくれた。君のその温かさで僕は救われたんだ。

 これから語る舞台は人間と獣人が共存する世界。とは言っても人間は人間、獣人は獣人……とそれぞれの集落で過ごす事が一般的で、交わる事はまだ希少であった時代だ。そんな世の中で出来上がったのは人間と獣人が一緒に勉学を重ねていく学校だ。 【種族の垣根を越えて手を取り合える場をここに】  そのキャッチコピーを掲げて、入学を募っていた。もちろん、前例のない学校に対して周囲に信用を得る事は困難な事だ。あのキャッチコピーを掲げただけでは、まだ種族間の交流は限りなく少ないこの時代では正直ここに入学しようという意思を生み出せなかっただろう。しかし、人間、獣人問わず周囲に住む者達にとってその学校の立地面、そして何より経済面では都合が良かった。前例のない学校という事でその第一陣として入学する生徒に対して入学した暁には一切の学費免除が保証される事になっていた。またその学校がなければ、近隣に他の学校もないため、交通機関を使って遠く離れた学校に通わせなければならない事情もあった。もちろん通学費を保証してくれる学校もあるが、一定の条件を満たす必要性があるし、その通学費が保証されたとしても学費の負担がまだ大きい。その学校に入学する事で学費免除される分で将来への貯金が出来るし少しでも出費を抑えられるのなら……という魂胆からその学校の入学を選ぶ家庭が出てきたのだ。今まで同じ種族同士で生きてきた子ども達がいきなり違う種族と交わる事にどうなるのか誰にも想像出来ない。  大人とは違う柔軟性を持って手を取り合う未来になるか。  防衛本能が働いてお互いに排除し合おうとする未来になるか。  大人達の都合、理想に巻き込まれた子ども達の中にあった物語だ。

 人間達が暮らす区画の中にある、とある一軒家。そこには夫婦と子ども二人の四人家族で生活している。子どもは男二人兄弟。兄と弟は三歳離れで、性格は真逆だ。  兄は活発でいたずら好きのわんぱく小僧だが絶対にやってはいけない事や程度は弁えており、また人当たりは良いため近所の人達にも可愛がられている。友達も多く外で遊ぶ事が大好きな子どもだ。  弟はいたずらなど無縁と言えるほどにおとなしい性格で、人見知りが激しく家族と一緒でないと他の人と話せない事もしばしば。外で遊ぶよりおもちゃやゲームなどで遊ぶ事が好きな子どもだ。  同じ環境で育ったのに何故こうも真逆の性格なのか両親は常々不思議に思っている。だが、それでも二人とも健康に育ってくれれば……と愛情を惜しげなく注ぎ込んでいた。そんな中で両親は大きな悩みを抱えていた。 「……あの学校にユウを入れるのは本当に良いのかしら? 私達としては金銭面では助かるけど、あの子が獣人も一緒に居る環境に耐えられるかどうか……」 「……正直、俺達の勝手な都合だと言われても否定出来ない。ハクと同じ学校に入れてやるのがユウにとって兄が居る学校と思えて多少は安心感を持たせられて良いかもしれないなのも分かってる。だが、それは面倒見の良いハクだからこそ負担をかける事にもなる。幼稚園でも先生方も戸惑うくらいにユウは先生にベッタリで友達と言える友達も出来なかった。学校での友達との時間も大事なハクに学校でもユウの面倒を見てくれと言うのも違うんじゃないか?」 「それは……」 「……博打とも言える選択肢だ。その選択肢がユウにどう刺激を与えるのか……不安ではあるがユウ自身が変わるチャンスでもある。だが本当にダメな時は学費が多くかかる事も覚悟して転校させるつもりだ」 「……そうね」  近所に新しく学校が出来た。そこは人間だけでなく獣人の子どもも通う事になる場所だ。そこに自分の子どもである兄弟のうちの弟であるユウを通わせる事に対する不安だ。それでも金銭面と、何より兄弟それぞれの事を考えるとこれが最善だと思う、いや、思いたい両親。この選択が吉と出るか凶と出るか。子ども達は既に寝静まっている、とある日の夜だった。

 まだ少し寒さの残っている冷たい空気。だがその空気の中に何やら芽や花の匂いが交じっている風が吹く。身なりをしっかり整えてその場所に向かう親子の姿が見え始めた朝。その親子もそのざわめきの中に身を投じていた。スーツを身に纏い、気持ちを引き締める両親。母親に手を引かれながらおどおどする男の子。不安な気持ちを抱えているからか何処か落ち着かない。その気持ちは繋いでる手からの感触で何となく伝わってきてるのだろうか、両親は息子に目を配らせる。 「大丈夫だ、ユウ。お父さんとお母さんがついてるからな」  穏やかな笑顔を息子……ユウの目線に合わせるためにしゃがんで見せる父親。ユウはその笑顔を見て幾分か落ち着く。ゆっくりと頷いてまた歩を進める。両親もそれに続いて歩いていくと見えてくる。  ユウが入学する学校、【私立共生動小学校】。校門の先に見える校舎はまるで入学してくる人間と獣人、どちらも分け隔てなく迎え入れるよと言ってるかのように開いたコの字の形となっている。左手と右手に見える校門側に突き出てる部分は腕を前に出して迎えてくれるように見える。校門の塀に沿って多くの木々があり、桜の花が満開とはいかないが花びらを綺麗な桃色に色づかせて咲いている。見上げれば一面を青に染める空がある。なんと恵まれた天候だろうか。この特別な日に晴れて良かったと両親が何度思った事だろうか。他の親もそう思っているだろう。ユウ達より先に着いている他の親子達は校舎に入ろうと奥に進んでいる姿が見られる。その姿を見ていたユウは幼稚園の時の顔見知りを見かける他にも全く知らない人間の子どもはもちろん、今まで見た事のない獣人の子どもと大人の姿もある事に緊張が走る。事前に両親から聞いていたとはいえ、兄のハクが通う学校とは全く違う環境に身を置く事になるユウ。ただでさえ、人見知りが激しいユウに平静で居ろと言うのは無茶な注文だろう。 「ユウ」  声をかけたのは母親だ。母親の声にユウは母親の方へ見上げる。見える母親の顔は控えめな笑顔を浮かべながらユウを真っ直ぐに見つめて言葉を紡ぐ。 「ユウにはきっと一緒に楽しいと思えるお友達が出来る。ユウはお兄ちゃんとは違う優しさがある子だから、その優しいユウを見てくれるお友達を見つけてきなさい」  母親なりの激励だろう。ユウにはそれがどういう意味なのか理解しきれてない。この学校には自分の知らない何かがある、と何となく感じたのだった。

 正面から校舎に入って右側、東棟に体育館があり、そこで入学式が始まる。幼稚園の時も子どもは多かった時だが、今回入学した子ども達の人数はそれ以上の数だ。なにせクラスも6組まで設けられたほどだ。ハクの通っている学校もそうだが、他の学校のクラスは平均3組まで、多くて4組までだ。他の学校のクラスの倍ほどにあるものとは言ったもので人間も獣人も数多くこの学校に集まっている。生徒となる子ども達、保護者、学校関係者……それぞれの思いを持ちながらここに居る。ユウは落ち着かないのか自分の席となる椅子に座りながら辺りを見回している。ユウの周りには自分と同じ歳の人間、そして獣人が座っている。特に獣人達は初めて見る存在だ。人間だけなら幼稚園で見た顔見知りも居るが、獣人の知り合いは居ないため、その事がより緊張を走らせている。  壇上で入学する生徒達に向けて人間と獣人の二人の校長となる人が話をしている。国としてはどちらかの種だけ校長を含む教職に就かせると学校の方針である【種族の垣根を越えて手を取り合える場をここに】を無視する事になるとして、人間と獣人それぞれバランスの良い人数で赴任させており、校長に関しては種の差別化をしてしまわないように人間と獣人、それぞれから一人ずつ選出したとの事だ。その理想の象徴とする狙いだと言えるだろう。

 長い話を経て入学式が無事に終了して、子ども達は西棟にあるそれぞれ決められた教室に入って自分の席に着いた。ユウも同様だ。緊張し過ぎて周りに馴染めてない事は否めないが。直後に担任と思われる人物が教室の扉を開けて入ってきた。その人物は獣人だ。綺麗な明るめの茶の毛並みのディンゴの男の獣人で細いフレームのメガネをかけている。 「皆、入学おめでとう。僕は皆の先生となる赤嶺(あかみね)サトルだ、よろしく」  無表情でクラスの生徒達を見やる。その顔を見て子ども達は真面目に赤嶺の方へ顔を向ける。 「人間と獣人が交わる、僕にとっても初めての事だ。君達と過ごす事でどうなっていくのか見届けていく。皆揃って仲良くしていこう……とは先生として発言する。だが、僕個人としては人間と獣人関係なく、同じ種族同士でも仲良くなれない事もあって、それなのに無理に仲良くしようと言うのも間違いではある……と言っておく。まだ君達には難しいかもしれないけどね」  淡々と話す彼の話を理解しきれてないのか呆然としている生徒は多い。それでも分かった事は仲良くしていこう、でも仲良く出来ない事もある……という事だ。 「ここからは自由時間だ。好きに過ごしてくれて構わないよ」  その一言をかける赤嶺。その琥珀の瞳に映る子ども達は自由時間という言葉を聞いた事を皮切りに、まずは同じ種族の者同士でおしゃべりし始めた。席から立ち上がって気になる人、元から交流のある人と話しに行ったり、席が近い人としゃべる者も居た。  ユウはその輪に入れない。何を話せば良いか、自分がどうしたら良いか分からない状態だった。自分の席で固まる。このままだとこの自由時間が無駄になる。何より、友達が出来る機会を逃してしまうかもしれない。頭で考えてる事とは裏腹に体は硬直して動けない。  どうして、どうして……。  ユウの心の中はその言葉だけで埋め尽くされる。穏やかでない。このままずっと独りなのだろうか。自分から話せないといつまでもこんな状態だろうか。 「ねぇねぇ!!」  その時、その人物がユウの肩を後ろから軽く叩きつつ、はっきり聞こえる声を出した事に大きな感触を覚えてユウは驚く。ふと、その方を見やる。  そこに居たのはふさふさとした褐色、しかし毛先が少し灰色がかった毛並みのコヨーテの子どもの獣人。獣人の体は基本的に人間より大きめなのが標準的だが、この子は人間並みの体の大きさで小さめだ。頭から上に伸びる耳はピクピクと動いており、垂れている尾は振り子のように揺れている。その光景はユウだけでなく、周りも驚いた。周りが同じ種族同士で話している中、このコヨーテの子どもは人間の子どもに話しかけていったのだ。一気に静まり返る。赤嶺だけは冷静なのか、特に驚いたような素振りを見せずに皆の様子を見守っている。 「え、えっと……そ、その……」 「あっ、ごめんね! 独りぼっちで居るの何でだろーって思ったから!」 「あ、あの……」 「あっ、僕はアキ! 粟井(あわい)アキ! 君の名前は?」 「えっ、と……ユ、ユウ。森松(もりまつ)……ユウ」 「良い名前だね! ユウ君って呼んで良い?!」 「え……えっ」  家族以外に、友達の居ない自分に、人間とでさえ、まともに話す事すらなかったのに、大人達も今まで交流のなかった獣人に話しかけられてしどろもどろのユウ。アキは尾と耳を揺らしながら返事を待っている。心穏やかでないユウは話そうにも言葉が出てこない様子。だから、ユウなりに精一杯体を動かす。首を縦に動かした。 「やった! よろしくね、ユウ君!!」  ユウの手を握って上下に腕を振るように動かすアキ。嬉しさの表現だろうか。ユウは今目の前に居る彼に対する理解が追いついてないのか心ここにあらずといった様子だ。だが、次第に感情が表に出てくる。  純粋な黒の瞳から一粒の雫が頬を伝う。これまで嬉しそうにしてたアキがそれを見て慌てだす。 「どうしたの?! あっ、もしかして強く手を繋いだから痛かったかな?! ごめんね、ユウ君!」  繋いでいた手を離してあわあわとしだすアキ。悪気はなかった事は彼を見て理解するユウ。本物の獣と似たような鋭い顔、でも何処か安心出来るような雰囲気がある。ユウは雫をスーツのズボンのポケットからハンカチを取って雫を拭ってから今度はユウからアキの手をそっと握る。 「え、えっと……痛くは、なかったよ。た、ただ……その、嬉しくて」 「えっ?」  その手の感触と途切れ途切れながらも聞こえる言葉に呆然とするアキ。そんなアキの様子に気付いてか気付いてないか、ユウは俯いたままも言葉を続ける。 「え、えっとね……おしゃべり……上手くできなくて、だ、だから、いつも独りぼっちに……なっちゃって。だから、嬉しくて……」  嬉しいという気持ちの昂りから、また雫が頬へ流れていく。すると、アキがその雫を空いている手で拭う。そして握られていた手をそっと握り返す。 「じゃあ、僕といっぱいおしゃべりしようね!」  笑顔全開でその一言を放つアキ。その笑顔を見て釣られて笑うユウ。 「よろしく、ね」  そのまま握っていた手が握手するような手付きになる。二人はとても楽しそうにしていた。この光景を見ている獣人の子ども達の一部はひそひそと話している集団が居た。 「アキ、本当に変わり者だよね」 「幼稚園の時からそうだもん」 「ひとりぼっちになってる人間に話しかけるなんて普通じゃないよ」  ユウとアキが気付いてない事を良い事に、陰口を叩く数人の獣人。しかし、見逃さない人が一人。 「感心しないな」  彼等が後ろを振り返ると、そこに居たのは赤嶺。その姿を視認するなり気まずくなる子ども達。それに対して無表情で言葉を紡いでいく。 「さっき言わなかったかな? 皆揃って仲良くしていこう……とは先生として言うけど、無理して仲良くしようと言うのも間違いだと。君達が人間と仲良くしようと思わないのは自由だよ。こうやってこの場で初めて接する種族同士だしね。だけど、粟井君と森松君が仲良くしているのを見てそうやってひそひそと悪く言うのは違う。自分達がもし粟井君や森松君と同じようにただ話しているだけで君達に何もしていないのに、悪く言われるのは嫌じゃないかな?」  言われて返す言葉がない子ども達。赤嶺はそのまま子ども達からの言葉を聞かずに教卓へと向かう。何も言われない事に子ども達はお互いを見やってその場から離れた。赤嶺は再び過度な干渉をせず見届ける事に徹していた。しかし、先程のような事があれば即座に行動に移すのだろう。その様子を見ていた他の子ども達もそれを心に留めていた。

 人間と獣人。  種族の違いから分かり合えない部分もこれから多く出てくるだろう。しかし同様に、歩み寄れる事もこれから出てくるだろう。ユウとアキ、彼等二人のように。

 それからユウとアキは毎日のように一緒の時間を過ごしていた。アキはおしゃべりが好きなのか、話のネタを出してくるのはいつもアキの方からだった。それに合わせてユウも緊張しつつも少しずつ話せるようになっていった。アキ以外の人とはまだまだ上手く話せない事も多いが、それでもユウにとっては側に居てくれる存在がある事がとても嬉しく思っていた。こんな日がずっと続きますように、と心から願っていた。

 そんな日常を送っていたある日、二人はアキの家の近くにある公園で遊んでいた時の事。 「野球、始めたの?」 「うん!」  アキが野球を始めたと言い出した。どうやら獣人の中で有名な野球選手に憧れを持って、それで野球をしてみたいと思うようになって始めたようだった。体育の授業で知った事ではあるが、アキは身体能力が高い。常にトップ、なんて完璧超人ではないが、走力、体力、バランス能力、腕力、脚力などなど全体的に高く、同年代の上位層と十分競えるものだった。獣人は人間にはない身体能力の高さがあるため、アキ以外ももちろん、獣人の子ども達は全体的に体育の成績は上々だ。アキはきっとすごく上手くなるんだろうなぁ、と漠然と思うユウ。 「ユウ君も何かやらないの?」  その言葉にドキリとするユウ。決してアキの言葉は悪意などないものだが、ユウにとっては痛い言葉。感情を揺さぶるのに十分だった。 「どうしたの?」 「え、えっと、その……僕も、サッカー……やってるんだ」 「そうなんだ! サッカーも良いね!」 「で、でも……」  ユウの言葉はどうも歯切れが悪い。サッカーをする事にあまり乗り気ではない事がユウが俯いてる様子から明らかだ。アキはそれを不思議に思う。 「サッカー、イヤなの?」 「サッカーは……イヤじゃないよ。お父さんと……お兄ちゃんが居るんだ」 「ユウ君のお父さんとお兄ちゃんもサッカーやってるんだ! お父さんとお兄ちゃんと一緒に出来るって楽しそう!」 「お父さんと、お兄ちゃんと……一緒にサッカーするのは、楽しいよ。でもね……」 「でも?」 「お父さんやお兄ちゃんみたいに……上手く出来なくて、色々な人にバカにされるんだ」  話を聞くと、ユウは運動はどちらかと言うと苦手。壊滅的に運動出来ない、という訳ではないが他の人間に比べると能力は低め。走りは遅い方で体力もさほどない。対し、父と兄は運動が得意で、逸脱している程の実力ではないとはいえ、兄は数々の試合で活躍しており、サッカー少年団のチームの皆にも頼りにしているとの事。父はそこのコーチを務めているのだそう。審判の資格も取っており、指導力も高く、自ら実践して子ども達にノウハウを教えているとの事だ。二人はまさに輝いており、ユウはくすんでいる。一番イヤなのはリフティングで5回も出来なくてチームの皆にバカにされる事だとの事。ユウ本人としては一生懸命やっているのに出来ない事を周りからあれこれ言われ、揚げ句の果てには父と兄と比べられる事が多いようだ。ユウはそれがたまらなくイヤだと思っているが、いかんせん人に前に立たれると上手くしゃべる事が出来ない性分もあって、それも加速させてしまっている要因になっているようだ。ユウの言葉をアキは黙って聞いていたが、話を最後まで聞いた彼が一言。 「ユウ君の事、バカにする人やっつけてやる」  ユウはその一言に驚いてアキを見る。  怒ってる。物凄く怒ってる。  それが誰が見ても分かる程の彼の顔は歪んでいた。今すぐにでも彼が手を出しそうで怖く思う。必死に止めようと手を強く掴む。 「だ、大丈夫……! 粟井君が、僕の話聞いてくれただけで……嬉しいから」 「でも! 僕はイヤだよ! ユウ君、別に悪い事してないのにバカにされるなんて!」 「ううん。粟井君が……その人とケンカになっちゃう方が、イヤなんだ」 「そっかぁ……」  アキは少々腑に落ちない様子ながらも、精一杯イヤだと言うユウに折れるしかなかった。今にも飛び出しそうな様子から幾分か落ち着いたアキを見てユウは少し安堵した。掴んでいた力を緩めて優しく手を握る。 「でも……ありがとう、粟井君。僕の為に……怒ってくれて」 「うん!」  そこから二人は公園のブランコやジャングルジムなどの遊具で遊ぶ時間を過ごした。ユウにとって、アキと一緒に遊ぶ時間が本当に幸せな時間だった。獣人と人間、そんなの関係なくアキという人が本当に好きになったのだ。彼と過ごす時間が本当に楽しく思っている。家族にもアキの事ばかり何回も話していて呆れている部分もあるが、それでも楽しく話しているのでその部分が親としてはたまらなく嬉しいものだろう。人見知りで幼稚園では友達の一人も出来ない子が新しく出来た友達との事をこれだけ毎日聞かせてくれるのだから。両親の不安も最初に比べてだいぶ吹き飛んでいた。

 この二人がきっかけとなったのか、学校の職員達も授業の合間に異種族間コミュニケーションを図ろうとレクリエーションを催したり、遠足や運動会でのチーム組みで人間と獣人をシャッフル形式で均等にグループ分けしたりと交流するための企画を起こしていた。始めは効果は薄かったが少しずつ異種族間での交流が生まれていった。後から入学した下級生もそんな上級生を見て異種族間で仲良くなっていく姿が見られた。まさに学校の方針の先の理想の姿だ。  年月を経ても、ケンカの一つもなくユウとアキは日々を過ごしていた。その時間のおかげか、まだ人見知りはするものの、少しずつアキ以外の同級生とも話す事も増えていった。アキも同級生に友好的に接していて多くの友達が出来たようだった。それぞれの交流関係が出来始めて、二人で遊ぶ時間も減っているが、仲良しなのはずっと変わらない。この時間がずっと続いていく。そう信じてやまなかった。しかし、その時は突然訪れた。

 ユウとアキの初対面から5年半以上が過ぎ、卒業を間近に控えた木枯らしの吹く時期だった。アキに呼び出される形で、校舎の西棟の3階と4階を結ぶ階段の踊り場に二人は居た。 「……海外?」 「……父さんの仕事の都合で」  アキの父親の海外転勤。それに合わせて家族も一緒に海外に行くことになったようだった。それはつまりアキは転校せざるを得なくなったのだ。一緒に卒業出来る事を楽しみにしてた矢先に告げられたのだ。 「……卒業まで待てないの?」 「無理みたい。現地の手続きがあるとかで早めに出発しないと……」 「そん、な……」  ユウは突然の発表に戸惑いを隠せない。海外に行くという事は今までみたいに気軽に会う事すら出来なくなる。当たり前だと思っていたアキとの日常がなくなる。それはユウにとって耐え難い事だった。あまりのショックから体が震えて何も言葉が出てこない。顔も俯いていく。 「……じゃあ、伝えたから」  アキはそんなユウから目を背けて階段を駆け上がる。ユウには彼の表情が見えない。彼の表情はどんなものだったのだろうか。だが、今のユウにはそれを考える余裕などまるでない。彼が走り去った後、その場に立ちすくんだまま自分の頬に流れる雫がそのまま床に落ちるのを眺めるしかなかった。  ユウはいつどんな顔で教室に戻ったのか全く覚えていない。その日の授業がどんな内容だったのか覚えていない。休み時間や昼食時間も何をしていたのか覚えていない。アキとよく遊んでいた公園の中の山型の滑り台の下の部分は子どもなら何人か入れるほら穴のようなスペースがあり、ユウはいつの間にかそこに居た。夕日がそのほら穴に入り込んでいて、そう時間が経たずに夜が訪れる事を知らせている。ユウはそんな事など意に介さず、うずくまっている。夕日を背に浴びている。何も考えられなかった。何も考えたくなかった。迫る現実を受け入れられないユウ。この感情をどこにぶつけたら良いのか分からないちっぽけな子どもだ。  影が落ちる。夕日が遮断される。刹那、背中に背中が寄りかかる感触を覚える。それと同時に大好きな声が耳に入る。 「ユウって昔から何かあったらここに居るよな」  その声は明るいものだった。いつも一緒に過ごしてる時みたいに、からかう時のちょっとした笑いもこぼれている声だ。聞きたい声だ。なのにつらく思う自分も居る。それ故か、顔を上げる事は出来ない。ただ、その背中を感じるだけだった。 「……こんな時に言うのも何だけど、ユウがそういう反応してくれて嬉しいよ」  カラカラと笑いながらしゃべるアキ。背中を合わせて振り返らないままアキはそのまま話を続ける。 「他のやつにも海外に行く事伝えたけどよ、正直テンプレみたいな言葉ばっか。元気でね。また会えたら遊ぼうね、とかさ。そりゃ、中には本当に心を込めて言ったかもしれねぇし、俺の思い込みなのかもしれねぇけど、上辺だけの言葉に聞こえたんだよな」 「……何で、そう、思うの……? 粟井君は……いっぱい、友達が居るのに……」  ユウはうずくまったまま問いかける。その答えが出された時、ユウは感じた。彼が本当に嬉しく思ってる事を。 「……本気で落ち込んだり、泣いてくれるのがユウだけだったから。他のやつはその言葉をかけた後は何事も無かったかのように遊んでた」  アキの言葉には妙に明るいトーン。アキは少しユウの方へ背中を寄りかかる。 「今だから言えるけど、俺って気まぐれ者だからさ。初めてユウに声かけたのも興味本位。それこそちょっかいかけるくらいな感じでな。人間に言葉かけたらどんな反応するかな、なんてさ。それを顔馴染みの獣人メンバーには変わり者とか言われてたさ。今付き合いのある人間の友達も何となく興味の湧いたから接してたけど、今はそこまで興味ないしどうでも良いとか考えてる。結構ひどいだろ?」 「……そう、だったんだ……」 「俺をケーベツするか? ま、そうされても仕方ないけどな」  苦笑混じりの言葉。突き放そうとする言葉。別れるからこその懺悔だろうか。  沈黙が流れる。そのまま夕日が地平線の向こうへと消えかかるその時だった。 「……ずるいよ、粟井君」  ずるい、なんて言葉が出るとは思ってなかったのかビクッと一瞬体が揺れるアキ。そんな彼をよそに、ユウは声を震わせながら言葉に出す。 「……悲しくないように、引きずらないように言ってるの分かってる。粟井君は、優しい人だって。それだけ……一緒に居たんだから。それに、それが本当だとしても……ケーベツなんてしない。それでも、粟井君は大事な友達……親友なのは変わらないから」  今度はアキは黙った。ユウがこんなはっきり言うのは珍しいから。本音を言うのは得意ではない人なのに精一杯言葉にしているのだ。アキの心も様々な感情が渦巻いていた。刹那、ユウは堰を切ったかのように声をしゃくりあげる。 「行かないでよ……! もっといっぱい……一緒に居たいよ……!」  俯くアキ。体が震えていく。心の中で渦巻いてた感情が溢れ出ていく。 「っ、俺だって……行きたくない……! せめて、ユウと一緒に卒業したかった……!」  背中合わせの二人はお互いに相手の顔は見えない。どんな顔をしてるのかは分からない。しかし、分かるものはある。  それはお互いを大事に思う気持ち。  それは背中合わせの温もり。  それはお互いの声。  それらを感じながら、彼等は感情のまま泣いていた。

 ひとしきり泣いて辺りを見ると夕日が沈み、町並みが闇の暗さに包まれ始めていた。背中合わせのまま、アキが言う。 「俺……絶対、帰ってくるから。何年かかっても、絶対ユウに会いに行くから」  ユウもその言葉に背中合わせのまま、頷く。 「ずっと……待ってるよ。だから、元気なままで、帰ってきてね」  アキも背中合わせのまま、頷く。そして、そのままアキはユウの背中から離れていった。それが彼等の卒業前の最後のやり取りだった。

 後日、学校でアキの転校を知らされた。本当にもう海外に行ってしまった。ここにはもうアキは居ない。  寂しい。その気持ちはどうしても拭えない。しかし、約束がある。約束の先にお互いは存在している。それを思うと温かい気持ちになる。 「約束、したから」  約束を結ぶ絆。この絆を胸に、目の前にある世界の中で生きていた。  卒業後、いつか約束を果たすために、二人は手紙のやり取りを始めた。国際郵便となるため、手紙が届くまではどうしても時間はかかる。しかし、その時間が逆に二人の楽しみとなっていた。相手がどんな反応をしながら読んでるのか、どんな返事をくれるのか、色々と想像しながら楽しみにして待つ時間となったのだ。時代が進むにつれて、手紙にメールアドレスが書かれていた。そこからは、手紙のやり取りから電子メールのやり取りへと変化した。時差があるため、メールを返す時間帯もバラバラだ。それでもやり取りを続けて繋がりを保っていた。 「パソコンばっかりやってたら目が悪くなるから程々にしなさい」  両親にそう怒られる事も多かった。しかし、事情が事情なだけにそこまで強く注意する事はなかった。一生懸命やり取りする姿を見守る家族。長いやり取りを許してくれていた。二人はそんな家族に感謝していた。

 それから数十年。  彼等はすぐに思い出せる。目の前にいる大事な存在と共に過ごした日常を、あの夕日を浴びながら背中合わせをして本音を言い合った日を。別れた後も繋がりを求めた日々を。 「ただいまご紹介に与りました、森宮ユウと申します。粟井さん、新名さん、並びに両家の皆様、本日は誠におめでとうございます」  ブラックスーツを身に纏うユウは目の前の人物に向けて言葉を贈る。それは人間と結婚を決めた心の友だ。かつて二人が一緒に居た学校の方針である【種族の垣根を越えて手を取り合える場をここに】。それをより理想的な形の具現化を友が実現させた。ユウは純白に包まれた夫婦となる二人に向けて最高の笑顔を浮かべていた。