のじゃたぬ令嬢作家志望!

「まだかまだか……」  深夜0時からPCの前に座り、人間の世界のとあるサイトを更新し続けている。 『12月20日 一次選考通過者発表』 「来たっ!」  正午。『お知らせ』欄に現れたリンクを速攻クリックする。  通過者は5294人中512人。約10%。 「あー、来ました?」 「しっ!」  わらわにもたれかかっていた者に人差し指を立て、画面を下にスクロールする。羅列される通過者とタイトル。  結果は分かり切ってるにせよ、一応確認するかの。 「深夜狸ポン、『ケモノ彼女と二千年の日常』。えーっと……。……」  ……おかしい。わらわの名前が出てこんぞ?  深夜狸、二千年、ケモノ彼女……。  あれ? 最後まで見ても名前無いのじゃけど? バグか? 「き、きっと、見落としたのじゃな? もう一周、ケモノ彼女……」  背筋を伝う冷や汗。ない、ない、ないぞ??? 「に、二周目も見当たらないのは集中し過ぎて逆に注意力が散漫に……」 「往生際が悪いです」  隣で画面をジト目で眺めていたメイド服の娘が、ページ内検索を行う。 『深夜狸 0/0』 「落選ですね」 「うわあああん! また落ちたのじゃあああ!」  これで15回目! またラノベ新人賞に落ちた! 頑張ったのに! 自信作だったのに! むごすぎる! 「ドンマイです、お嬢様」  机に突っ伏し泣くわらわを雑に励ますのは、わらわ専属の小柄な狐メイドの『玲(れい)』。  ちなみにわらわは『懐里狸(なつざとまみ)』。一応、この辺の山をいくつも持ってるそこそこの家の一人娘。  でも、その真の姿はラノベ作家志望の『深夜狸(みよだぬき)ポン』。  作品から溢れるケモノっ娘への愛が審査員を圧倒しデビュー、その後もケモノが登場するラノベを旺盛に発表、著作は続々アニメ化し、世間にケモノブームが訪れる……はずじゃったのに。 「何故一回も一次選考を通過できんのじゃ!」  わらわは両手で顔を覆いうずくまる。 「ううう、どうすればよいのじゃ……」 「指の隙間から玲をチラ見したって無駄です。膝枕で慰められたいのでは?」 「流石、鋭いのう玲は! さあ!」 「初落選の時は気にしましたけど、もう慣れたので」 「追い打ち?!」 「大体……」  溜息を吐き玲は、今回送った小説のワードファイルを開く。 「お嬢様のペンネーム。『深夜狸』の読み方は普通、『しんやだぬき』でしょう? 何ですか『みよだぬき』って。中二病じゃないですか……ふふっ……」 「あっ、今笑ったな! 『みよだぬき』の方が絶対カッコいいじゃろうが!」 「デビューもまだなのに、放置されてたおんぼろな離れを書斎にして着物まで着ちゃって……」  玲がわらわの書斎を見回す。畳に障子に襖に縁側。壁一面を埋め尽くす巨大な本棚。 「この書斎なら取材の時に大先生の風格が出るじゃろう?」 「それにその口調。もっと女子大生らしくしましょうよ……高二までは普通の話し方でしたのに。今時長老達だってそんな口調しませんよ」 「普段の言動までシャンとしてこそ、文章も冴えるのじゃよ」 「……さっき号泣してた気がしますけど」 「そっ、それは仕方ないじゃろ! だって、人間達はケモノ小説の魅力にいつ気付いてくれるのじゃ! もう待てぬぞ!」 「人間が主催する賞に応募してるお嬢様が文句を言う筋合いは無いのでは?」 「うう~……玲がいじめるのじゃ……」  玲が膝枕してくれないので、わらわは仕方なく体を起こした。ちぇー。 「第一、人間よりも自分達の様なケモノ向けに書いた方が、ケモノっ娘がヒロインの作品はウケそうですけど」 「ならぬ……というか、わらわ達の住むケモノの世界には送れる小説賞が無い。知っとるじゃろう? こっちの世界は人間の世界と比べて、そもそも小説という表現形態が発展してない。本屋に並んでるのは漫画と絵本。小説は人間の世界からの輸入に頼り切りじゃろう?」 「そうですか? こっちの世界発の『ULTIMATE KACHIKACHI』はベストセラーですし面白かったですよ? メタル化狸が親指を立てて溶鉱炉に沈んでいくシーンなんて涙無しには……」 「だから! ケモノの世界にはほぼ昔話のリメイクしか無いじゃろう!? もう飽きたのじゃ!」 「まあ、人間が書くお話の方が確かに面白いですよね。玲も時折読みますし」 「じゃろう? わらわが人間の世界のラノベ賞に送るのは、ハイレベルな舞台で研鑽したい意識の賜物なのじゃ」 「でも読者が人間なら、なおさら人間のヒロインにするべきですよ。同族のヒロインの方が惹かれません? 現にお嬢様だって、同族のケモノの女の子の方が好きな訳ですし、そもそも人間達はケモノが実在することを知らない訳ですし」 「何を言う! わらわの小説の一番のウリはケモノっ娘への愛なのじゃぞ! それを削ったら元も子も無い!」 「確かに、その熱意だけは毎回感じますが……」 「じゃろう! 人間達も本当はわらわにケモノ小説でのデビューを望んでるに違いないのじゃ。ラーメン屋に入ったのに、パフェを出されたら困るじゃろう?」 「そもそもお客さんがラーメン屋に入りたくない場合は?」 「う、うぐっ……。じゃけど、人間達も昔話や子供向けの絵本にわらわ達の様なケモノを出すことが有るじゃろう! つまりケモノの姿が一切想像できぬとか、全く需要が無い訳ではないはずじゃ!」 「部分的には分からなくも無いですが、うーん……」 「呆れておるが、文章でケモノを表すのは大変なのじゃぞ? これを見てみよ」  わらわがワードを立ち上げ、玲は画面を覗き込む。  顔が近い! もふもふの柔らかい頬をわしゃわしゃしたい! 「……何にやけてるんですか」 「全然、何でもないぞ?」 「玲がそばにいるだけで興奮で鼻血が出るんですか?」 「うむ。ティッシュ持ってきてくれんかの?」 「カマをかけたらもう少し動じて下さいよ……で、どうしましたか?」 「今から打ち込む一文を読んで欲しい」

『隣には愛くるしい狐獣人のロリメイドが座っている』

「さて、この文をどう感じる?」 「気持ち悪いです。本人の前で平気でロリって書く点が特に」 「そうじゃなくて! この文からどんな人物が想像できる?」 「えっ? 普通に狐のケモノじゃないんですか? それこそ、玲の様な」  玲の珍しく驚いた声に興が乗ってくる! 「そう、そこなのじゃよ。わらわ達は生まれた時からケモノの姿じゃから。この文章で思い浮かべるのは自分達の様な、もふもふの毛に包まれた生き物じゃろう?」 「もしかして、人間達が読むとまた違うんですか?」 「実は、この文を読んだ人間の内の少なくない割合がもふもふのケモノではなく、人間とケモノ耳と尻尾を合わせたケモ耳の姿を想像するのじゃよ」 「なるほど、私達ケモノも人間達も、より自分達に近い方の姿に解釈しやすいのですね」 「そうなのじゃ。で、それは勿論読者ではなく、至らぬ描写を書いたわらわの責任じゃな。次に、この文はどうじゃ?」

『隣には最高に愛くるしい狐のケモロリが座っている』

「どうでもいい箇所を盛ってません? そもそも玲はもう18歳なんですけど?」 「しかしこれがわらわ……でなく、語り手のあるがままの心情じゃからのう。胸の奥の叫びを拾い上げねば、作家の名折れなのじゃ」 「屁理屈だけは天下一品ですね……」 「さて、さっきと比べて、人間の読者はどう感じるか?」 「先程よりはイメージが伝わりやすいですね。『ケモ』という単語が有るので、もふもふな姿が思い浮かびそうです」 「そうもいかないのじゃよ。わらわ達の様な生き物を表す『ケモノ』という語が、人間の世界にそのままの意味で浸透しているか未知数で不安が残る。そもそも、これでは四つ足か二足歩行か、髪の色が体毛と同じか異なるかも伝わらないのう」 「『ケモロリ』という語はよりニッチそうですものね……お嬢様の様な変態淑女しか使わなさそうです」 「そんなに褒めても、頭を撫でるぐらいしかお返しできんぞ?」 「褒めてないです」 「『ケモノ』や『ケモロリ』が最も意味を表せているが、その単語だけだと意味を知らない読者には不親切で困ってしまうな。じゃから、人間の読者に狙い通りのケモノの姿をイメージして欲しい場合には……」

『隣には最高に愛くるしい狐のケモノが座っている。彼女は二足歩行で、大きな狐耳と立派な尻尾が生えている。身長は145センチ。全身は艶やかな狐色の毛で覆われ、前髪ぱっつんでかつ細長いツインテールが特徴的な髪の色は深い紺色。華奢な体躯に反し、ツンと上向いた鼻先やジト目は気丈さを連想させ魅惑的。狐にしてはマズル――鼻先から口周りに掛けての部分――はまだ短く、その幼さが愛おしい』

「と、ここまで書けば完璧じゃろ?」 「完璧な変態ですね……。……まあ、これならどんな姿か想像しやすそうです」 「だけど、ここまで詳述したらしたでスピード感が失われるのが悩ましい……うう……」  ケモノの外見をどこまで書くかは、毎回頭を悩ませる問題じゃ……。 「こんな風に想像通りのケモノを文章で伝えるのは至難の業。そもそもわらわ達の外見は人間達より個性に富んでいるから、絵の方が伝わりやすく映えるのじゃよ。だからわらわ達の世界では、漫画や絵本が物語の主流なのじゃろうな」 「教科書も大半が漫画ですものね。国語の教材も名作漫画ですし」 「うむうむ。ちなみにわらわの姿を書くならば、こうなるな。どうも人間達は狸に妙なイメージを抱いているらしく、余計に難しいのじゃが……」

『一般的なイメージと異なり、狸は実はマズルはシュッとして利発そうな顔立ちだ。彼女も例に漏れず、書斎で黙々と原稿に向かう、やや長めの濃い茶髪が少し掛かった横顔はいかにも頭脳明晰で、165センチの全身も引き締まっている。良家の一人娘の彼女は20歳の女子大生ながら社交界を飛び回り、その清楚さから注目を浴びている。』

「そんなわけないでしょう。本当はこうですよ」  玲がキーボードを奪った。

『確かに狸には引き締まった方が多いですが、玲が仕えるお嬢様の、特に体つきはその反対で、飽食が祟った腹から太鼓の調べが聞こえそうです。お嬢様は令嬢ですが、人見知りで社交パーティーには滅多に行かず、稀に参加しても会場の隅で一人でビュッフェのテリーヌをつついており心配になります。』

「な、なっ、なんじゃ、この恐ろしい文は!」 「事実を述べただけですよ。ふふっ」 「もうよい! ふて寝する――と、見せかけて!」 「きゃっ!」  得意げな顔の玲の腰に瞬時に手を回し、畳の上に一緒に寝っ転がった。 「何するんですか! お嬢様!」  じたばたするも逃れられぬ玲。わらわは運動神経ゼロだが力は強いのじゃ。 「は、恥ずかしいですよ……」 「よしよし、玲はかわいいのう……」  小柄な玲を、包み込む様に優しく抱きしめる。諦めた様で玲の体の力が抜ける。そのまま二人で寝っ転がる。  わらわの太い尻尾は最初はパタパタ動いていたが、次第にまどろむ様に大人しくなる。  玲の耳と尻尾は、小さくはためていて……素直じゃないのう。  どれぐらい時間が経ったか、わらわは腕を緩めた。 「……お嬢様は、」  玲はわらわの右腕を枕にして手足を投げ出し天井を見る。 「何故小説家になりたいんですか?」  わらわも天井を眺める。 「……玲は、一本の小説で人生が変わった経験は有るか?」 「いえ、そんな素晴らしい作品にはまだ……」 「そうか。……わらわは幸運にも、父上も母上も本をよく買ってくれてな。その中に人間の世界の小説が混ざっていて。登場人物が直接語り掛けてくれて、物語が直接雪崩れ込む、小説ならではの感覚が好きでのう、よく読む様になった」 「だから本棚に本が一杯有るのですね」 「その通り……でも、読書を重ねる内に気が付いた。仕方が無いが、人間の世界の小説の登場人物の多くは人間じゃろう? 『どうして自分の様なケモノは出てこないのかな』と、次第に寂しくなり思い悩んだのじゃ」  わらわは自嘲し鼻を鳴らす。 「ふふっ、幼い子供らしいわがままな悩みじゃな」 「いえ、とても切実な悩みですよ」 「そんなある日、『たぬ姫八化け!』に出会った」  思い出す。巫女服の狸の少女が、箒を片手に照れ笑いする表紙を手に取った時のときめきを。 「主人公の狸の少女『たぬ姫(き)』ちゃんが、遥か昔に失われた狸族の変身能力を蘇らせるため、九尾のお稲荷様に弟子入りして神様を目指し修業する話じゃな」 「あっ、本棚の掃除中に背表紙を見たことが有ります!」 「何度も読み返したから、端が擦り切れてたじゃろう? まさか人間の世界の小説がケモノを、しかも狸のケモノっ娘を主人公にしてくれるなんて! しかも描写も大変巧みで、ケモノ達の姿形や躍動がありありと伝わり驚きじゃった」 「そんなにお嬢様が好きな作品なのに、知らなかったなんて……」 「よいよい。全三巻で終わってしまったことからして、人間の世界でもマイナーじゃったらしいし。何故あえてケモノを出したのかは、皆目見当つかぬ。それでも、わらわの心に残り続ける大切な小説なのじゃよ」  一巻を読み終えすぐ、初めて自分の意志で原稿用紙に文章を綴ったのは……今から十年前、十歳の頃。 「あの作品の様に、心を打つケモノ小説を書きたい。その憧れが小説を書き始めた理由じゃな」 「大切な話を教えて下さり、ありがとうございます」 「話すのは初めてじゃからこそばゆいのう。ちなみに作者は、『鍵巻御伽(かぎまきおとぎ)』先生なのじゃ」 「鍵巻先生……本棚に沢山並んでいましたね」 「先生は他にも色んなラノベを書いているのじゃよ。初めて読んだ『たぬ姫八化け!』からずっと大ファンで、ケモノは出ないが新刊は必ず読み、文章もよく参考にさせてもらっているのじゃ」  そっと玲から腕枕を外して体を起こし、人間の世界の検索エンジンで『鍵巻御伽』と調べると、かなり長い金髪ときりりとした大人びた顔立ちの、スレンダーで背の高い、若い人間の女性が表示される。 「鍵巻先生じゃな。素敵な方じゃろう?」 「はい。ミステリアスな雰囲気の方ですね」 「今までの著作は50冊。ほら、ネット書店にもこんなに有るぞ」 「『たぬ姫八化け!』も有りますよ。かわいい表紙ですね!」 「おや、意外と人間達のレビューも付いてるのじゃな。流石鍵巻先生……ん?」  わらわはあるレビューの文言に首を傾げる。

『この作品のお陰でケモナーになりました』

「……のう、『ケモナー』とは何じゃ?」 「ケモナー? 『ケモノ』の打ち間違えではないですか?」 「しかし、どうにも引っ掛かるのう。どれどれ」  『ケモナー』と検索して出てきたサイトの説明文を読む。 「! こ、これは……」

『ケモナーとは、動物と人間の特徴を併せ持つ架空の生き物、『ケモノ』が好きな人のことである。』

「つまり……ケモノを愛する人間が、それを表す名称が有るほど沢山いるのか?」  試しに別のサイトで『ケモノ』と検索すると、様々な画風で描かれたかわいらしい、あるいは格好良いケモノの絵が沢山表示され驚愕する。 「ケモノが好きな人達が、これほどいるのですね。自分達の存在は知られていないはずなので……完全に予想外でした」 「ああ。もしや鍵巻先生も『ケモナー』なのかもしれぬ。長年の謎が氷解しそうじゃ……おっ! おおおっ、凄いぞ! ケモノをテーマにしたイベントも有るとは! 直近のイベントは――。……! 玲、見よこのイベントを!」 「えっ、まさか、こんなに沢山のケモノが……!」 「こうしてはおれぬ、すぐにホテルと新幹線の予約をしよう!」

 1月6日、午後五時。丁度、日が落ちる頃。 「着いた~!」  ケモノの世界から十時間。新幹線のホームに降り立ったわらわは伸びをする。人間の世界は三年前の東京観光以来で久々じゃった。 「改札を出て、シャトルバス乗り場に向かいます」  キャリーバッグを引く玲が道案内をする。 「久しぶりの旅行ですね」 「違うぞ、これは取材じゃ! ケモノに惹かれる人間達から、その理由を知れば、ケモノ小説を書くコツが分かるかもしれぬじゃろう?」 「物は言いようですね……ちゃんと取材するんですよ?」 「分かっておる。取材用カメラも持ってきたからな」 「単に着ぐるみを撮りたいからでしょ……まあ、玲も生で見たいですが」 「うむうむ。何せ日本で最もケモノの着ぐるみが集まるイベントらしいからのう。まさか漫画やイラストだけでなく、ケモノを着ぐるみにする人間がいるとは。着ぐるみ以外にも、ケモノに関する企画が沢山有るらしいし、取材しない訳にはいくまい!」 「くれぐれも失礼の無い様にして下さいね。それに万が一正体がバレたら一大事に……」 「大丈夫!」  ホームの鏡に映るわらわの姿。焦げ茶色のセミロングの髪や、黒い瞳や、顔立ちには面影を残す。しかしそれ以外はどう見ても、黒のリボンを結んだ真っ白いセーターと、黒いロングスカートの上に、濃紺のコートを着た20歳の人間の女性。丸い耳も立派な尻尾も隠してある。  変化術を使えば朝飯前。腹の肉は……まあ、気にせぬ方向で。 「どうじゃ、中々に清楚な人間のお嬢様じゃろう?」 「コーディネート考えるの大変だったんですからね?」  そう言う玲の姿は、18歳の人間の少女だ。ぱっちりとした大きな目は普段と同じ。赤いチェックのスカートと、大きな丸ボタンが三つ並んだキャラメル色のカーディガンを着て、マスコットの様に愛らしく――。 「永遠にこうして頭を撫でられるな」 「バスよりパトカーがお好みですか?」 「ちぇーっ、つれないのう。おぬしの人間姿が新鮮でつい」 「人間に化けてもお嬢様は一ミリも変わりませんね……」 「見よ! 駅にイベントのポスターが貼ってあるぞ!」 「はいはい、今行きますよ」  そんな玲も上機嫌だった。

「おおっ! 本当にケモノの着ぐるみがいっぱいおる!」  会場のホテルに着き、驚き声を上げる。既に沢山の着ぐるみが会場を歩いていたのじゃから……! 「壮観ですね……!」  玲も目をぱちくりしている。遠目でも分かるほど、どの着ぐるみからもケモノへの愛が伝わり心躍る。 「早速取材じゃ、玲! あのピンクの子はどうじゃ?」  視線の先には、水色の髪とピンクの毛並みの猫の子がのんびり歩いていた。わらわは颯爽と近付き、肩をちょんちょんとつつく。 「お、おぬし……す、少しばかし、時間を……」 「さっきの大声はどうしたんですか……」 「だ、だって、どうすればいいのか、作法とかなんも分からぬし……」 「それを含めての取材でしょう……?」  人間に化けても玲のジト目は変わらない。すると猫の子は、青い目で不思議そうにこっちを見つめ……両手の人差し指と親指で長方形を作った。 「な、なんじゃそれは、豆腐か?」 「そんな訳ないでしょう」  猫の子もふるふると首を横に振る。はて、このサインは……。 「! おぬし、写真を撮ってもよいか?」  すると猫の子はぴょこんと飛び跳ねて、嬉しそうにこくこくと頷いた。  早速猫の子と間隔を空け、玲からカメラを受け取り構える。猫の子は、両足を元気良く開いて、両手を広げて前に出すポーズだ。 「おおっ、良いぞ! はい、チーズ! ――うむ、ばっちりじゃな!」  良い写真が撮れたぞ! こっちに寄った猫の子も写真を確認して頷いた。 「ありがとうな、取材を受けてくれて」  すると猫の子が頭を撫でてくれる。ぽふぽふ伝わる優しい感触。 「肉球も柔らかいのじゃな! それにしてもおぬし、ピンクの猫とは珍しいのう」  けれど猫の子は、ううん、と手を横に振った。あ、あれ、どこか違ったのか? 「もしや、猫じゃないのか?」  その通りらしく、猫の子は親指を立てる。 「あっ、玲は分かりましたよ!」  得意げに鼻を鳴らす玲。 「待っておれ、おぬしの種族は…………」  犬や狼にしてはマズルが長くない。マズルが短い種族か? いやでも種族というより、まだ子供じゃからマズルが短いのか? ならば別の特徴から考えた方が良いな。  ゆったりと楽しそうに動く姿をよーく見てみると、耳がやや大きい。それに太く大きな尻尾の形は、毎日目にする――。 「もしかして、狐か?!」  するとばんざーい!と、はしゃいで両手を挙げてくれた! 「狐だったのか! 玲と同じじゃ――もがっ?!」 「な、何でもないですよ! あの、最後に……」  わらわの口を塞いだ玲が周囲を伺う。その視線の先には、ケモノ達とハグする人達もいて。 「ハグをして頂いても……良いですか?」  ケモノの時は見られぬ赤面で玲が俯く。 「おっ、玲も大胆じゃのう?」 「だ、だって、やってみたいんですもの……」  快く両手を広げた狐の子に玲が近付いていく。にやけながら眺めていると玲が振り返る。 「お、お嬢様もハグしたいみたいです!」 「ふふーん、まあ良いじゃろ」  素直じゃない……のは、本当は体験したかったわらわも同じか。玲と一緒に、高鳴る鼓動を感じながらそっと狐の子に抱き着いた。 「! ふわふわもふもふで、あったかいのう……」  お腹の白い毛並みが、ふわっと手や頬に触れる。 「気持ち良いですね~……」  まどろむ様な玲の顔。きっとわらわも、似た様な表情をしてるのじゃろう……。 「本当にありがとな。ではまた!」  そして手を振り狐の子と別れてから、 「「……あっ」」   玲と声が重なる。 「三人一緒の写真も撮ってもらえば良かったですね……」 「きっとまた、会えるはずじゃよ。……玲!」  玲に向き直り、はやる気持ちを隠さず言う。 「客室に荷物を置きに行こう! 沢山の子に取材するのじゃ!」 「企画も色々回ってみましょう!」  そして張り切って受付に向かった。

 ホテルのチェックインと、イベントの参加登録を済ませて、20階の客室に荷物を置いたわらわと玲は早速、会場の1・2階の、ホールやロビーやエントランスやロビーや部屋などを巡り様々な企画に参加したり、着ぐるみの写真を撮った。  着ぐるみだけでなく、絵を描く人やグッズを作る人など、多様な方法でケモノを表現する人や、ケモノについて楽しそうに語らう人が大勢いて驚きじゃった。

「人間達の間でこれほどまでにケモノが熱くなっていたとは……誇らしいのう」 「いや、お嬢様は何もしてないでしょう」 「確信したぞ、わらわの小説が流行る未来も近いと!」 「……そろそろですよ」  玲に耳打ちされ、何十人もの人が椅子を並べて座る会場の前に立つ司会の人を見る。 「本日ラストです! 発表したい方は――」  わらわは意を決して、初めて右手を挙げた。 「じゃあ、一番早かったそこの方で!」 「は、はい。緊張するのじゃ……」  四日間のイベントの、三日目の昼。わらわ達は今、ケモノが登場するおススメの本を紹介する企画の会場にいる。漫画や絵本や同人誌など本のジャンルは何でも良く、持参してなくても参加できるらしい。わらわが選んだのは勿論――。 「それでは、お願いします!」  席を離れ壇上に立つ。偶然旅のお供に持ってきていたあの本を、両手に全巻持って。 「……わらわのおススメは、ライトノベルの『たぬ姫八化け!』。主人公の狸の少女、たぬ姫ちゃんが九尾の狐の神様に弟子入りする話で――妖術を学び、野山を駆け回り、様々なケモノの神様ともふり合うなど、ケモノならではの展開が目白押しなのじゃ。もふもふの毛並みや全身のしなやかさ、力強い跳躍や疾走など文章表現も見事で、たぬ姫ちゃんのお気楽でへこたれない姿に惹かれるのじゃ。狐の神様も普段はぐーたらながら、陰で見守り力を貸す優しさが心に染み――」  大好きの力は凄い。普段なら絶対つっかえているのに、前を向き大きな声で喋れている。   ふと、一人の少女と目が合う。  一番後ろの席に座った、赤く染めた短髪の快活そうな、オレンジ色のパーカーとジーンズを着た、玲と同い年ぐらいで同じぐらい小柄な少女。  目を丸くして聞き入ってくれる姿に、目頭が熱くなる。  好きなことをみんなの前で思い切り話せるのが、こんなに心地良いなんて。 「ページを開けばいつでも、初めて読んだ時のときめきが甦る。どうか、大好きなこの本を手に取ってもらえたら、これ以上の幸せは無い。ご清聴ありがとうございました」  お辞儀した瞬間、全身の力が抜ける。  上手く喋れたじゃろうかと、急に不安になっていると……。  ぱち、ぱちぱちぱち。  最初の拍手は、赤髪の少女と玲が。  そして会場全体が拍手に包まれて。 「そ、そんなに褒めても何も出ないのじゃぞ……」  こそばゆくなって、顔が熱い。いきなり声が小さい。  今、尻尾が出ていたらぶんぶんと元気に振られていたじゃろう……。

「今日もお疲れさまでした、お嬢様」  三日目の夜遅く、客室に帰るとケモノに戻りベッドに腰掛けた。 「……正直、どうじゃった?」 「想いが伝わる良いスピーチでしたよ」 「ありがとう。まあ、このぐらい、わらわにかかればどうってことないな!」 「ふふっ、今日ばかりはその通りですね」 「そうじゃろう! しかし……」  企画の後、会場を出てからも参加者達と存分にケモノ作品の魅力を語り合った記憶が蘇る。 「やはり誰かと話すのは取材の醍醐味じゃな」 「皆様ケモノが好きな理由が様々で、ためになりましたね」 「うむ。自分と全く異質な神秘性が好き、凝縮されたかわいさが好き、野性を垣間見せるのが好き……大変勉強になったのう。それに、」  カメラのギャラリーには、多種多様な着ぐるみ達が活き活きと映る。 「犬に猫にドラゴンに鳥に――好きな種族も人それぞれなのじゃな。それを表す様に、着ぐるみにも色んな子がいて実に楽しかった。動きもみんな、かわいらしさやかっこよさを引き出していて凄かったのう」  本物のケモノよりも着ぐるみの方が動きが愛らしいかもしれぬ。毛並みのふわふわ感も……。 「明日は最終日ですが、取材の方は完璧ですね――」 「――のう、玲。写真も撮れたし色んな企画に行けたし沢山話もできた。しかし、」  心の中は、まだうずいている。 「何か取材し足らぬと思わぬか?」 「嫌な予感はしてましたが……何を取材するんですか?」  ジト目になる玲。 「これだけ素敵な着ぐるみ達を見れば、試したくなっても無理はなかろう?」 「……え。でも、」  玲が尻尾と耳をぴょこんと立てる。 「簡単な話じゃ。だって、わらわは――」  月が妖しく、ぎらりと輝く。

「ほ、本当にやるんですか? 忠告しましたからね?」 「大丈夫、完璧な変身じゃろ?」  部屋の鏡の前で一回転。遠目からだといつものわらわだが、よく見ると普段より毛並みに光沢が有り、質感もよりふわふわだ。  表情はカーブが緩めの「ω」の形に口角を上げた笑顔で、瞬きはしない。いつもより目付きはぱっちりして、漫画のキャラの様に楽しげな表情だ。髪の毛もフェイクファーとなり、手足も普段よりも大きめで、その姿はまさに――。 「まさか『着ぐるみ』に化けるなんて。驚くやら呆れるやら……」 「狐七化け狸八化け。このぐらいお手の物じゃ。口を動かさず喋るのは腹話術の要領じゃな」 「確かに凄い変身ですが、それで人前に出るのは……」 「あんなに楽しそうなこと、やらずにいられるか! これぞ取材精神じゃ!」 「無理にこじつけなくて良いです」 「しかし巫女服を着るとは面妖じゃのう。全身が着ぐるみになっている訳じゃから、無くても別に構わぬぞ?」 「ほんっとうに、裸だけは勘弁して下さい……」 「まあ、たぬ姫ちゃんの巫女服なら大歓迎じゃ!」  化ける時には服も自由に変えられる。着ぐるみになり増した体のかさのために、袴にしてみた。少々窮屈ではあるし、巫女服は生まれて初めてでまだ慣れぬが……何を隠そう、これはたぬ姫ちゃんと同じ、尻尾の上が羽衣の様にひらひらとした大きなリボンになっている特別な巫女服。テンション上がるのじゃ! 「玲は着ぐるみに付き添いサポートしてくれる、アテンドなる役割を頼むぞ」 「メイド生活五年目にして最大の試練ですね……」  覚悟を決め人間に化けた玲と、わらわは部屋を出てホテルの廊下を歩きエレベーターを待つ。 「お嬢様」 「ん?」 「もう少し大股歩きの方が着ぐるみらしいですよ。腕は大きく振って」 「むっ。こ、こうかのう?」 「そうです。あと、ポーズの身振り手振りも大きくです。折角化けたのです、恥じらいは捨てて下さい」 「……おぬし、結構ノリノリではないか?」 「いえ。お嬢様がよく見える様に助言しているだけです」  チャイムが鳴り、偶然にも空のエレベーターに乗り込む。快晴の景色が徐々に下がり、加速する鼓動。  ピンポーン。扉が開けば、一気に一階の賑やかな声に包まれる。 「着ぐるみが沢山いるホールのロビーまで行きましょうか」 「うむ……」  さっきまで一人で歩けたのに。緊張で玲の手をぎゅっと握っている。 「お嬢様」  玲に腹を肘でつつかれハッとした。 「すみません、撮影しても良いですか?」  目の前に声を弾ませた男の人が一人。 「も、勿論じゃぞ」  ドキドキしながら返事する。 「喋る子なんですね! 巫女さんなんですか?」 「そりゃあもう、わらわはばりっばり喋る巫女さんじゃぞ」 「ちなみに、名前は……」 「名前? あー、えー……ポン――」 「深夜ちゃんです。深夜って書いて、『みよ』って呼びます。じゃあ、写真を撮りましょうね!」  何故か強引に割って入る玲。 「良ければ、あの虹色の翼の前で撮りたいのですが……」  男の言葉通り、エレベーター近くのピンク色の壁に虹色の大きな翼が描かれていた。 「うむ、素敵な場所じゃ! 撮ろう撮ろう!」  意気揚々と壁の前に向かいつつ、手を繋ぐ玲に耳打ちする。 「何で遮ったのじゃ」 「女の子の名前に『ポン』じゃ直球過ぎなので……」 「ふふん、以前『深夜』で『みよ』は中二病と言ってなかったか?」 「と、とにかく、玲はその方が良かったんです!」  翼の前で玲と離れる。空いた手が心細いが、我慢。正面に立つ男が左手を挙げたので、ポーズを取ろうとするが……。 「え、えーっと、どうすればいいんじゃ?」  どうすればビシッと決まるか分からず、手足をわちゃわちゃとしていると……。 「撮りたいポーズが有れば、深夜ちゃんに教えて頂けると嬉しいです」  玲のそんな助け舟は流石じゃった。 「ありがとうございます。例えば……巫女服の右袖を口元に、左手を腰に添えたポーズはどうですか? ちょっと悪戯っぽい雰囲気で」 「こ、こうか?」 「はい! 両足は少し開いて右に向けて、上半身を正面にひねる感じで――」 「なるほど、参考になるのう」  男の丁寧な指示のお陰で、良い感じになってると思う。 「深夜ちゃん、ばっちりです!」  名前を呼ばれて、ドキッ。  むずがゆくも、体がふわふわと浮く夢心地。  そうか。  わらわは今、深夜ちゃんなのじゃ。  着ぐるみの、深夜ちゃんなのじゃ。  ふふっ。 「はいチーズ!」  シャッター音。普段はこんなポーズしないから照れるのう。まあ、旅の恥は掻き捨てじゃな!  別のポーズで更に二枚撮ってもらって。 「オッケーです。ありがとうございます!」 「うむ、ありがとう!」  満足そうな男に、狐の子の様にハグをする。 「わわっ、本当にありがとうございます……!!」  嬉しそうに目を細める男。ふふ、素直なものよのう。  再度男が礼を言って別れると。 「すみません、写真いいですか?」  今度は二人組の男女から声を掛けられる。 「勿論じゃ!」  忙しないし、難しい。  だけど――楽しい!

 それから玲と共に会場内を巡り撮影してもらったり、色んな着ぐるみ達と交流して充実した時間を過ごした。  気付けばずっと化けたまま日が落ちて。わらわと玲は広い中庭に有る椅子で休憩していた。 「少し寒くなったのう。そろそろ戻るか?」 「大丈夫です。お気の召すままに」  実際玲は疲れておらず、もっと遊びたそうで。内心は楽しくて仕方がなさそうじゃった。 「それにしても」  日没直後の広い中庭を見る。月が雲に隠れて一層暗い。建物で囲まれたそこは、昨夜は賑わっていたが……。 「誰もいないのう。何故じゃ?」  今夜は、わらわ達以外は誰もいない。 「今は大きなホールでステージ発表の最中ですね。その後に同じ会場で閉会式ですから、皆さん見に行っているのでしょう」  読み込んで端が擦り切れたパンフレットを開き、玲が答える。 「行きますか?」 「んー……もう少し、ここに居たいのう」  疲れてはいなかったが、静かな庭をただ眺める。  ホテルの光とは対照的に、闇に包まれる庭。  視線をやれば、玲もこっちを垣間見ていた。  同じことを考えておる。声に出さなくても分かる。もう五年も一緒なのじゃから。  ……はしゃいだ分だけ、終わりが近付くと寂しいのう。  取材と称して勢い任せに来た旅が、こんなに楽しいとは――。  冷たい風がわらわの尻尾の毛を揺らす。玲の尻尾もそよいでいて……。 「――あの」  玲の声、じゃない。  わらわの背後にいたのは。 「こんばんは!」  あの企画にいた、赤髪の少女。発表に頷いて真っ先に拍手してくれた、あの――。 「もしかして、たぬ姫ちゃんの巫女服ですか!? そっくりでかわいいですっ!!!」  目を輝かせ、声を上げる少女。 「ありがとう。実は、この様な衣装も作っちゃったのじゃよ!」  ノリノリで返事する。こんな風に、昨日紹介した『たぬ姫八化け!』の巫女服だと気付いて声を掛けてくれた人も結構いたのじゃ。知らぬ内に布教に成功したのかもしれぬ! 「写真っ、撮っていいですか?!」  少女は浮き浮きとスカートのポケットからコンデジを取り出す。 「ああ、勿論じゃぞ!」 「あっちのベルの下でも良いですか?」  庭の端の方の白いアーチの下には、自由に鳴らせる鐘が設置されている。快諾して三人で鐘の下に向かう。 「背中を見せて立って、両手はベルの縄を持って、顔と尻尾だけをカメラに向けるポーズをお願いします!」 「うむ、こうかのう?」 「あっ、尻尾はピンと上に立てる感じで……」 「なるほど、こうじゃな!」  だいぶ自然なポーズが出せる様になったぞ。もしや、神社の鈴に見立ててここを選んだのかもしれんのう! 「わー! かわいいですっ!!!」  繰り返すシャッター音。喜んでもらえて何よりじゃな! 「ありがとうございますーっ!」  深々とお礼する少女。爽やかで良い笑顔じゃのう、うむうむ。  すると少女はとんっ、と軽やかなステップで近付いて。 「ハグしてもいいですかっ?」 「うむ、存分に!」  わらわは両手を広げて――。 「――ッ! お嬢様!!」  玲の大声。   ? 「どうした――」  すると。 「ねえ。」  少女の瞳が、妖しく金色に輝いて。  囁かれた。 「お話ししましょう? 化け狸さん」 「――!」  悪寒。はぐらかそうにも少女の目は真剣で。  ば……バレた? でも、わらわの術は完璧――。 「ポーズを取ってもらった時に確信したの。あんなに自在に尻尾を動かすのは、着ぐるみには難しいんだよ?」 「あっ――」  慣れてきたからこその、油断。  後悔しても、もう遅い。 「離れて下さい!」  咎める玲に、少女は一切動じずに。 「狐さんも、お話ししない? 取って食いはしないから、ね?」  悪戯っぽく笑った。  逆らえない。ケモノの本能に刷り込まれる。 「お嬢様――」 「よい。逆らっても無駄じゃ」 「二人とも、ありがとう!」  少女は無邪気に笑い、ふうっと息を吐き出した。 「今は誰もいないからね。ここなら、安心だと思ったんだ」  そして。  目の前の少女の姿が、闇に紛れ完全に見えなくなる。 「えっ?」  次の瞬間。  雲間から覗いた月が、昨夜よりも明るく、妖しく輝いて。  少女の瞳も、一際強く輝いた。 「……」  絶句する。  そこにいたのは。  金髪のミステリアスな大人の女性――。 「か、鍵巻先生……?」  恐怖が一瞬で吹っ飛ぶ。  だって、憧れの先生が、目の前に。 「そう。私は鍵巻御伽。でも、驚くのはまだ早いよ」  先生がにっと口角を上げる。  尖った牙が覗く。 「狐七化け、狸八化け」  そして、呟くのは。 「九尾――九化け」  あの小説の、お稲荷様の決めゼリフ。  再び先生が闇に紛れる。  だけど足元にはその影がくっきりと映っていて。  目を見張る。  先生に尻尾が生えてくる。  一本じゃない。二、三、四――。  九尾。  ケモノの世界でも、ほとんどお目にかかれない存在。  少なくともわたしが見るのは初めてだ。 「わ……」  隣の玲の羨望のまなざし。同じ狐だから一層憧憬を抱くのだろう。  大きな耳が頭の上に生える。ざわざわと、毛並みが体を駆け上っていく。  わたし達だって、化ける時には同じはずなのに。  影すらも洗練された優雅さに、見惚れた。 「待たせたね」  闇の中から出てきたのは、九尾の狐のケモノ。  服装は細やかな金の刺繍がされた朱色の着物で、帯は淡い黄色。  腰まで届く長い髪は黄金色。  全身を覆う毛の色は勿論、狐色。  しゅっとした長いマズルは大人の魅力を醸し出し、気品ある整った顔立ちだ。  眉毛はいわゆるまろ眉、ややつり目の、強い意志と妖しさを両立する金色の瞳。  見つめられればきっと、ケモノも人も等しく魅了されるだろう。  それでいて、 「驚かせちゃって、ごめんね」  悪びれて笑う顔は少女の面影を残し、とてもかわいらしいのだ。 「まさか私の作品を紹介してくれる子がいるなんて。ただお礼を言うはずだったのに……どうしてこう、勿体ぶっちゃったんだか」  ふう、と自嘲気味のため息。  状況は呑み込めないけど、九尾の獣人――鍵巻先生に敵意は無いのは伝わる。 「でも、君も大胆ね。まさかケモノに近い姿で人前に出るなんて――まあ、普通はバレないと思うけど」 「あ、えっと、それは、そのわたしは」  どうしよう、緊張して上手く返事ができない……! 「つまり、鍵巻先生の正体はケモノだったんですか?」  尋ねられる玲の度胸が羨ましい。 「その通り。良ければ、君達の本当の姿も見せて欲しいな」 「でも先生、それは……」 「大丈夫。絶対に見られない様にしているからね」  周囲から目隠しする妖術か何かを使っているとか? 分からないけど、落ち着いた先生の声に不安は消え、わたし達は変身を解きケモノに戻った。衣装も巫女服からコートに戻る。 「!」  すると鍵巻先生が驚愕を顔に浮かべて、わたし達ににじり寄って。  思わず身構えていると――。 「かわいいっ!!!」 「「……えっ?」」 「君達、とーってもかわいいよ! 我慢できないっ、ぎゅってしちゃおっと!」  二人まとめて抱きしめられ、もふもふわしゃわしゃされる。 「人間の世界に来た子達とイベントで会えるなんて凄い偶然っ! しかも私のファンの子と、私と同じ狐の子だなんて! ああもう、たっぷりかわいがっちゃうからね! ケモノっ娘と会えるなんて超久々だし! あっ、でも後でもう一回着ぐるみにも化けて! たぬ姫の巫女服姿、理想ど真ん中で最高だったし!!! これは取材だからね!」  先生の撫で方は遠慮が無く、恥ずかしいやらこそばゆいやら……! 「お、お嬢様と同じ言い訳……」  突っ込む玲の表情もくすぐったさで緩んでいた。 「私だけ撫でてたら悪いし、驚かせちゃったお詫びも兼ねて、君達もさあ! 九尾の尻尾のもふもふ、堪能して!」  さあ来い、と大きな九本の尻尾を向ける鍵巻先生。  いや、でも、憧れの先生にそんなこと……と躊躇するけれど。 「さっきのお返しです、やっちゃいましょう」  玲がぐっと親指を立てたので、二人一斉に九本の尻尾に飛びついた。  こっ、このもふもふボリュームは神の領域……いやっ、お稲荷様の領域! 「ちょ、ちょっと待って、くすぐったいって! 二人掛かりはっ、反則っ……!」  最早訳が分からなくなりながら、わたし達は鍵巻先生の尻尾を撫で回した。

「「「…………」」」  再び、鐘の下。わたし達三人は夜風に涼みながら、さっきの混乱状態を思い出しては恥ずかしくなりを繰り返してようやく目が合った。それからわたしと玲は今更先生に名乗ったりして。 「さて」  本題を切り出したのは先生だ。 「ラノベ作家――『鍵巻御伽』は、九尾の私が人間の世界で活動するための仮の姿だよ。流石に、ケモノの姿を見せる勇気は無かったからね」 「では、さっきの少女の姿は……?」  わたしが尋ねると先生はしてやったりと、にやっとした。 「人間達が集まるケモノのイベントに来るのは初めてだから、お忍びだったんだ。あっちの姿は仮とはいえ、知られている訳だし」  先生は口元に人差し指を当てる。 「良かったら、正体は秘密にして欲しいな。……自分からバラしておいてなんだけど」 「当たり前ですよ!」  わたしがすぐに頷くと、先生はほっと胸に手を当てる。 「ありがとう、勿論、君達の正体も秘密にするからね。……というか見破っちゃってごめんね? 同郷の子を見つけて、つい舞い上がっちゃって……ううー、私ったら本当に……」 「わーっ、それも大丈夫ですって!」  申し訳なさそうに深々と頭を下げ始める先生を、玲と慌てて止める。  コホン、とわたしは咳払い。 「あのっ、先生」  どう伝えるか、まだ決まってないのに。  言葉は止まってくれない。 「先生の作品が大好きで――特に、『たぬ姫八化け!』は、好きで大好きで、わたしを変えてくれました。本当に、ありがとうございます」  憧れの先生に伝えるにはあまりにも、自分でも分かるほど拙い言葉だった。  だけど……。 「こちらこそ、ありがとう。君があの作品を紹介してくれた時……凄く救われたんだ」  先生は優しく微笑む。 「私が一番書きたかったことを書いた作品だから。ケモノの愛らしさを、少しでも読者に届けられたらって……」 「嬉しかったんです。ケモノっ娘が主役として、活躍する作品が有るんだって。届ける方がいるんだって知って、寂しくなくなったんです」 「ありがとう。私の作品が君の心に何かを与えられて、大切な思い出になっているのなら――」  そして先生は。 「作家になって良かったよ」  今日一番の爽やかな笑顔で笑った。  「はい! 『たぬ姫八化け!』のキャラも皆大好きで、それぞれの毛並みの書き分けなんてわたしじゃ到底できないです……!」 「! と言うことは君、小説書いているの?!」 「あっ……は、はい! 先生の様な素敵な小説家を目指して頑張ってます!」 「おやおや、そんなところまで影響が……! もしやケモノ小説?!」 「そうです! あんな風にケモノっ娘のかわいさを小説で伝えられたらって……!」 「ふふっ、それだったら、同じだね。……このイベントには」  先生は嬉しそうだ。だって、九本の尻尾があっちこっちに揺れているんだもの。  玲も、わたし達の様子を暖かく見守りながらも、エメラルド色の瞳を爛々と輝かせて尻尾に目移りしている。 「ケモノが好きな人が集まるという話を耳にして、取材も兼ねて来たんだ。前から着ぐるみにも興味が有ってね。人間達が開くケモノのイベントに来るのも初めてだったから……驚いたよ。まさかこんなに沢山の人が、ケモノが好きだなんて。凄く心躍ったんだ。私があの小説で蒔いた種も、どこかで少しずつ芽生えていたらいいな、って考えたら一層ね。……ケモノ小説を書くのは難しい?」 「は、はい! 先生みたいに上手くはいかないです……」 「まさかまさか。難しいよね、ケモノを書くの。私もあの小説の時は、どうやったら読者に楽しんでもらえるか悪戦苦闘したよ」 「えっ、先生でもそうだったんですか?」 「そうそう。どんな姿なのか伝わらないって、担当編集さんに愛のムチをもらったっけ。実際その指導は、イラストレーターさんに正確にイメージを伝えるために、ありがたかったね。そもそも獣人って言葉の解釈が広過ぎるんだもん! でも、ケモノだと専門用語過ぎて伝わりにくいし! しかも十年前なんて今よりもっと浸透してない時代だったし!」 「分かります! 本当に難しいですよね、ケモノをぴったりのイメージで書くのって!」 「そうなんだよ、難し過ぎるんだよ! でも、文章で書きたいんだよ! ケモノっ娘の野性と理性の狭間で揺れ動く心情とか、毛並みを撫でる時の繊細な質感を! 文章の方がその辺はガツンと伝わると思うんだよ! 玲ちゃんも、そう思うだろう?!」 「ええっ!???」  完全に油断していたらしく、急に話題を振られて耳を立てた玲。 「そうです、こんなにかわいいケモノっ娘の魅力を届けたいんです、小説で!」 「その意気だよ! 共にケモノ小説で革命を起こそう! ふふふっ、実はね、今回取材に来たのも、ケモノが主役の新作のためなんだよ!」 「先生のケモノ小説の新作ですか?! 楽しみ過ぎます!」 「この十年間に溜めた想いを思いっ切りぶちまけるつもりさ! 君も、ほとばしる情熱を原稿にぶつけるんだ!」 「はい、先生!!! わたし、もっともっと書いていきますねっ!!!」 「二人とも、暑苦しい……」  うんざりした表情でわたし達の様子を眺める玲。 「――話してくれてありがとう」  そして先生が一息ついて、じっとわたしを見る。 「何度も言うよ。私の小説を好いてくれて……これ以上の幸せはないよ」 「こちらこそ。まさか先生とお話できるなんて……夢みたいです。本日は――」  まだまだ名残惜しいけど、先生にも予定が有るだろう。良い感じの雰囲気で切り上げようとして……。 「ところで」  先生が小首を傾げて。 「『わらわ』と『のじゃ』はどうしたの?」 「……へっ?」 「企画の時も、着ぐるみの時も『わらわ』とか『のじゃ』って言ってたよね。あの喋り方にはどういう意味があるのかな?」  つんっ、と先生に鼻先を一回つつかれる。 「え、あ~、それは気の迷いで……」 「お嬢様、先生の前だけ取り繕うのはおかしいですよ?」  待ってました、とばかりに大変愉快そうな表情の玲。 「お嬢様は作家っぽいという理由で、いつもあの話し方なのですよ」 「玲! それ以上は止めるのじゃ……あっ」 「なるほどなるほど! そう言えば……お嬢様というのは!?」 「実は良家のお嬢様なのですよ。でも作家になると言って離れに引きこもって……」 「うん、うん! 凄く面白いから、もっと聞かせてもらえない? 良ければ新作の主人公のモデルに――」 「わ、わらわはそんな恥ずかしいこと無理なのじゃ、うわあああん!」  夜が更けながらも、三人の話はまだまだ続いていく。

 ――イベントから半年以上が経った。  ……まだか。  書斎のパソコンの前に、わらわは深夜0時から張り付いている。  そわそわしつつも、机の上の写真立てに視線を移す。  右側に赤髪の少女姿の先生、左側にわらわと玲。庭からホテル内に戻った時じゃから、全員人間に化けている。みんな、爽やかな満面の笑顔だ。  そして真ん中には――あのピンクの狐の子。  同じ頃に終わった閉会式から帰るところだったのじゃろう。存分に話して庭から出たタイミングで偶然に会えて、先生も一緒に写真を撮れた。  思い出をぎゅっと詰め込んだ一枚から、今度は机の上の一冊の本に視線を移す。 『鍵巻御伽、十年ぶりのケモノ小説! 怒涛のもふもふを喰らうがよい!』  意気揚々と躍る帯の文字。表紙にはたぬ姫ちゃんよりも不敵な目つきの和服を着た狸の少女。裏表紙のあらすじによると、『わらわ』&『のじゃ』口調で喋るとか。  ……結局、モデルにされたのじゃ……。この情報を知った玲は数日間笑いが止まらず、わらわも笑うしかなかった。  うう~、先生は恐ろしい人なのじゃ……。  そんな今日発売の新刊も、まだ読めていない。  気もそぞろに読み始めたら、失礼じゃから。  今日は、ラノベ新人賞の一次選考の発表日。  この前とは別の賞で、今回投稿したのは、イベント翌日からすぐ書き始めた作品じゃ。  ケモノの好みは人それぞれ。  だけど、ケモノが好きなことはみんな同じ。  そのきっかけに、少しでもわらわの小説が携わっていたのなら。  何て、わくわくするのじゃろう。  この小説で、ケモノのことを少しでも好きになってもらえたら――。  初心を思い出すと、驚くほどすんなりと書き上がった。   人間に憧れて化けた転校生のケモノっ娘が、ケモノに恋い焦がれる人間の女の子と出会い、お互いに、ケモノである正体を明かそうか、ケモノが好きなことを明かそうか、と悩みながら恋をする話。  沢山の想いと思い出を詰め込んだ小説。  もう一度、本と写真を見る。  鼓動は落ち着かない。だけど、勇気をもらえた。 『8月1日 一次選考通過者発表』 「来たっ!」  正午。リンクをクリックし一覧から、『深夜狸ポン 恋に毛並みがなびく時』を探す。  鼓動の高鳴りを感じつつ、下へスクロール。  だけど……無い。  無い、無い、無い。  ……ああ。今回も駄目じゃったのか?  いや、でも、あと少しだけ一覧は残って――。 『深夜狸ポン 恋に毛並みがなびく時』  えっ。  もう一度、見る。 『深夜狸ポン 恋に毛並みがなびく時』  ……有った。  嘘。いや、嘘じゃない? 見間違えじゃない?  と、いうことは! 「通った!!!」  立ち上がって万歳する。興奮で尻尾がぶんぶんと振られる。 「やったやったやった! やったのじゃ! ふふふっ、どうじゃ、わらわの小説は面白いんじゃぞ!!!」  意気揚々と、先ほどからやけに静かな右隣の玲を見ると――。 「本当に、おめでとうございます……!」  玲は正座したまま、目元を拭っていて。 「えっ、どうして玲が泣いているのじゃ???」 「だ、だって、玲は嬉しいのです。ずっと、そばで見ていたんですから……!」  泣いている玲を抱きしめて、わらわは笑いかける。 「ふふっ、なんだかこれじゃ、あべこべじゃな……! よし分かった! 今夜は寿司でお祝いじゃな!」 「はい! ぜひ!」  玲は小さな牙を覗かせて、嬉しそうに笑ったのだった。 (50枚)