その日、世界中の人々が待ち望んだ商品の発売日が近付き、寒空の下多くのアパレルショップでは長蛇の列がその時を今か今かと待っている。

「ご来場の皆様大変お待たせ致しました! 只今よりメリノコートの最新モデルの販売を開始致します!」

 静寂を保っていた早朝の店舗の前の行列達は、待望の時に拍手や雑談で答え、賑わいを見せている。  そこに居るのは人間や爬虫類種の獣人達ばかりの上、その殆どが御婦人や若い女性ばかりとなっている。  人間もトカゲ獣人達も当然ながら寒さには弱いのだが、わざわざそんな彼女達が並んでまで待っていたのはこの冬を快適に過ごすための羊獣人種族の毛で作られた『メリノコート』のためだ。  上質な質感に加え、断熱性も高いため実用性も十二分に伴っているという逸品で、高額ながらも毎年のように入手困難となる大人気商品だ。  今年もその最新モデルを入手したいと世のファッションに聡い女性達が、静かな戦争を繰り広げていた。  並んでいたのはあくまで開店の時であり、実際に販売されているのは開店したそのデパートのアパレルショップである三階の店舗となる。

「皆さん! 危険ですからくれぐれも走らない、押さないようにお願い致します!」

 誘導するのは警備員の制服に身を包んだ犬獣人達。  その前を女性達は律儀に走らないように、しかし走るのと大差ないレベルの早足で進んでゆく。  エスカレーターを登ってゆく婦人達は、一体何処にそれほどのパワーが眠っていたのかと不思議になるほどこの瞬間だけは力強い。  基本的にはほぼ店舗前に並んでいたままの順番で売り場まで辿り着き、強奪するような勢いで店員から差し出される商品の袋を受け取ってレジへと向かう。

「大変申し訳ございません! メリノコート、本日分只今をもちまして完売致しました!」

 ものの数十分の内に数百と準備されていたメリノコートは完売してしまったらしく、手に入った人と手に入らなかった人とで明暗が分かれた声が湧いていた。  そんな頃、同デパート内の三階と二階の間の踊り場で、壁に背を預けてスマホを操作するトカゲ獣人の元に一人の人間の女性が寄っていった。

「おっすカナー。無事買えたみたいだね」 「美緒ちゃんも買えたんだ! よかったー。これでおそろだね」

 カナと呼ばれたトカゲ獣人はスマホの画面から目を離し、階段を下りてきた美緒の方へと顔を向け、お互いに嬉しそうに笑顔を浮かべている。  会話の通り、二人共同じブランドの紙袋を手に提げており、無事にこの購入戦争を勝ち残ったようだ。  戦利品の内容自体は同じであるため、特に見せ合うようなこともなく、二人で手に入れたコートを撮影し、SNSへとアップロードする。  その後は二人で行動する予定だったのか、共に一階フロアにあるカフェテリアへと移動し、朝食替わりのハニートーストとカフェラテを注文して暫しの休憩を摂ることにした。

「ねえねえ美緒。これマズくない?」 「え? 私は美味しいと思うけど……」 「違う違う! トーストじゃなくてコレ!」

 スマホの画面を眺めながらゆっくりと朝食を摂っていたカナは、急に大きな瞳を丸くし、美緒に自らのスマホの画面を見せていた。

『被害者続出! 人身売買の声も…。羊獣人を中心とした獣人原産の製品に苦言!?』

 そこに書かれていた記事の内容を見て、美緒も同じように驚愕する。  なんでも、今二人が必死に努力をして手に入れたコートも含め、獣人種の毛等を元にして作られた洋服類の取り扱いを規制すべきという声が大きくなっているのだとか。  高級品で知られる一方で、羊獣人を狙った強盗ならぬ強刈も稀に起きており、そういった普通に生活している獣人にまで被害が及ぶのを抑えるためだという。

「嘘でしょ!? そんなことされたら私達みたいな寒さに弱い人達みんな困るじゃん!」 「でしょ? 今更コットンに戻すにしても、需要が薄いから農場自体が少ないって話だし、こういうのやめてほしいよね」

 彼女たちも含め、人間や爬虫類種の獣人は寒くなると行動するのが難しい。  元々寒い地域を生活圏にしていたような犬獣人等は体毛が長いため、冬場は軽く羽織るだけでどうにでもなるうえ、夏場は換毛もあり、手先が器用な人間の理容店に行けば綺麗にサマーカットもしてもらえるため別段生活には困らない。  そんな長毛の獣人達の毛をただただ捨てるのは勿体無いと様々なデザインが出ている中、所謂高級品と呼ばれるような毛を持つ獣人種で、そういった毛を提供していないような人が盗毛の被害に遭っているのもまた事実。  悩ましい問題ではあるが、かと言って必要なのはそういった犯罪を取り締まる方法であり、供給そのものを規制するのは違うだろうという不満の声の方が大きいのは何処の世界でも同じだ。

「でもさ~。やっぱりこういう記事になるってことは本当に困ってるんだろうね」 「大変よね。う~ん……でもやっぱり、このコートがもう着られなくなるって思うと私嫌だなぁ」

 美緒とカナはそんなことを口にしながら、手に入れたコートを袋ごと優しく抱きしめた。

「なによ~この記事! そんなことされると私達が困るじゃな~い!」

 所変わって見渡す限りの草原地帯。  その中にポツリと建つ建物に長毛の犬獣人が一人、そして羊獣人が何十人も集まって新聞の一記事に注目している。  犬獣人の方はボーダーコリーのような見た目をしており、その新聞を持ってきた人物のようだ。  周囲の羊獣人達は次々にその新聞を回し読みしてゆき、件の記事を読んで驚嘆の声を上げている。  というのも、彼女達こそが件のメリノコートの原料を提供してくれている羊獣人達だからだ。  ここは羊獣人達の牧場。  牧場主であるコリーという犬獣人がオーナーを務めており、そこに住んでいる羊獣人達は従業員として契約を結んでここにいる。  契約といっても勝手に自らの毛を売買しない、牧場主であるコリーの指示に従って毛刈りや風呂等をきちんと済ませるといった内容で、まるでアパートや合宿の規則のようなものばかりだ。  多種多様な種族の暮らすこの世界において、牧場という形態の仕事が存在するということ自体有り得ないと思われがちだが、本人達にとってはかなり好都合らしい。  というのも、牧場の従業員の羊獣人達は牧場主によって割り当てられる住居に住み、三食美味しい食事と風呂や身奇麗にし続け、牧草地で適度に運動を行って生活習慣病等に罹らないようにし、最終的には春頃に行う毛の収穫時期まで品質の良い毛を大切にし続けることだけが殆どの従業員の仕事だ。  要約すると誰もが一度は口にした事があるであろう、『三食食っちゃ寝するだけで給料が入る』仕事だ。  昼は軽度の運動をし、夜間は安全性を考慮して屋内であれば自由に行動することが許されており、特に自分達の毛を自分で加工したりなんてこともない。  これ以上の高待遇は彼女達からすれば有り得ない訳で、羊獣人の中でも特に競争率の高い仕事となっている。

「はいはい! 気にしなくても大丈夫よ! メディアが煽っているだけで世間の声はいつも通りだから」

 パンパンッと大きな音で手を二度叩き、白い歯を見せて笑いながらそうコリーは皆に言い放った。  このやりとりもずっと牧場を経営しているコリーからすると既に何度も経験したことのある内容らしく、だからこそそうはならない事を一番理解していた。  コートを欲するのは冬場の寒さがキツい種族なら全員がそうであり、ポリエチレン性のダウンとはその性能が雲泥の差のため、一度使えばもう元には戻れなくなる程の魅力がある。  それだけでなくカーペットのような物にも使われているため、冬場は羊獣人の製品で万全を期する者も少なくはないほどだ。  また困るのは何も生産者と消費者だけではなく、その間に居る様々な仲介業者も困ることとなる。  毛刈りの時期は手先の器用な人間にしてもらうのが一番安全であり、かなりの重量となる採れた羊毛の運搬は竜人等の力の強い爬虫人種が大活躍する。  結果、羊獣人達の毛を刈っているのも運搬しているのも寒さに弱い種族達であり、必要としているのも同様なので自らの首を絞めるような意見に耳を傾ける者は殆どいない。

「それにね。こういう事を声高々に訴えるのは得てして同種族なのよ。要は嫉妬よ嫉妬」

 前述した通り、この職種は競争率が高い。  そのうえ結婚する場合、同種族同士、異種族同士のどちらでも従業員ではなくなる。  子供を授かり、親として子供に十分な教育を与えるために、本人にも社会人として必要最低限の知識と教養を与えるために、交際期間中は全員分の食事や選択の準備を行いながら社会で一人前にやっていけるようにするために資格勉強もしなければならない。  そうやって社会に出た羊獣人や、元々従業員となれなかった同種族で且つ、強刈被害に遭っていない者からの声が大抵の場合なのだ。  仮にそういう声があったとしても変えるべきはその他大勢ではなく、犯罪者を取り締まる法である。

「そうなんだ……。あ、コリーさん。春になってカットしてもらったら私合コン行こうと思います!」 「あらいいわね。丁度今、雑用してくれる手が足りなくなってたのよ。春先までまだまだ時間があるし、今の内から色々と仕込んであげるからね!」

 何人かがそう言ってコリーに合コンに行きたいという意思を伝えると、待ってましたと言わんばかりに彼女も嬉しそうに答えた。

「や、やっぱり来年にする!」

 鼻を鳴らしながら腕を回すコリーを見て怖気づいたのか、何人かはそう言って先の言葉を訂正した。  賑やかな声が、今日もこれからも続くであろう平和を告げていた。