漆黒の闇がどこまでも広がっている。 そこは、何も存在しない世界。

そんな場所で僕の意識が芽生えたきっかけは、誰かの手の温もりだった。 深い暗闇の中でその温もりはか細くて頼りなかったけれど、僕にとっては道標のようにとても大きな存在だった。 その温もりを感じる部分が広がっていくにつれて、次第に僕という存在がしっかりとした形となっていくのがわかった。 ”鼻”が付くと匂いを嗅げるように、”耳”が付くと音が聞こえるようになった。 そして最後に”目”が付いたとき、暗闇しかなかった僕の世界は一気に広がった。

初めて見えたものは僕に温もりを与えてくれたあの手だった。 その手は「できた!」と叫ぶと暫くそのへんをピョンピョンと小躍りしていた。 訳が分からなかったけど僕に関係することなのは何となく分かったから、僕も何だか一緒に動き出したくなった。 僕の中から溢れ出しそうなこれは何だろう。

僕は僕を作ってくれた手とこのままずっと一緒に居られるのだとなんとなく思っていた。 だけど、僕を作ってくれた手は僕を撫でるときに口癖のように言っていた。「いいひとがみつかるといいね」って。 僕にはその意味が分からないままだったけれど、どうやら僕はどこか別の場所に行かないといけないみたいだった。 僕を作ってくれた手とお別れすることを考えたら目頭がキュッとなるような感じがした。 僕を締め付けるようなこれは何だろう。

ある日僕の体が持ち上げられてどこかに運ばれていくのを感じた。僕を作ってくれた手は僕の頭をギュッと抱きしめて「いってらっしゃい」とだけ呟いた。 僕がその言葉の意味を考えている間に、僕は何だか狭いところに入れられて目の前が真っ暗になってしまった。 何となくだけどもうあの手には会えない気がして、必死に抵抗しようとしたけれど僕にはどうしようもできなかった。 僕の中でモヤモヤしたこれは何だろう。

次に周りが明るくなったとき僕はまたあの手と会えるかもしれないと期待した。だけど、僕の頭を持ち上げた手は僕を作ってくれた手とは違う手だった。 その手は僕の頭を優しく包み込んで「これからよろしくね」と言った。 僕を作ってくれた手とは違う手だったけれど、その温もりに懐かしさを感じて僕はフワフワとした感じになった。 僕を温かく包み込むようなこれは何だろう。

新しい手は僕に”名前”を付けてくれた。そして自力で動けない僕を着ることで、自由ではないけれど僕は新しい手と一緒に動き回ることができるようになった。 動けるようになって初めて自分の姿を鏡で見たとき、新しい手のドキドキした鼓動が僕にも伝わってきた。 僕から弾け出しそうなこれは何だろう。

それから僕は新しい手と一緒に色んなところに行った。 暗闇と部屋の中しか知らなかった僕にとって、外の世界はカラフルな驚きで満ち溢れていた。 僕以外の仲間ともたくさん出会ったし、色んな手に”写真”というものもいっぱい撮って貰った。 僕と一緒にいる手のことを”オーナーさん”と呼ぶことも知った。 次はオーナーさんの手とどこに行くのかな? どんな手や仲間と出会えるのかな? 僕から次々と湧いてくるこれは何だろう。

色んな手と交流をして僕はこの世界に”表情”というものがあることを知った。 ”嬉しい”ときは口角を上げて、”悲しい”ときは口角を下げて、”怒る”ときは目尻を吊り上げる。 どんなときが嬉しくて悲しくて怒るときなのかはよく分からなかったけれど、なんとなく顔を動かして表情を作ってみるとオーナーさんの手は僕の頭を持ち上げていつもよりも沢山ナデナデしてくれた。やればやるほどもっとして欲しいって思った。 僕がオーナーさんの手に対して感じるこれは何だろう。

暫くは何事もなく過ごしていたけれど、徐々にオーナーさんの手が外に出かけることが減ってお家で留守番することが増えていった。 オーナーさんの手が段々骨張っていくのを撫でられる度に感じていたら、そのうちに撫でられることもぱったりとなくなった。 僕は動けないからオーナーさんの手が帰ってくるのをずっと待った。 待ちながら撫でてくれた手の温かさを思い出して、思い出さなければ良かったと思いながら僕はひたすら待った。 僕の内側から抑えきれないこれは何だろう。

どれくらい待ったのか分からないけれど、ある日僕の頭が知らない手に持ち上げられた。その手はどことなくオーナーさんの手に似ているような気がした。 その手はなぜか震えながら僕の頭を撫でてくれた。

オーナーさんに似ている手は部屋の中を片付けた後、僕の体と頭を持ってどこかに連れて行ってくれた。 到着してそっと置かれた僕の頭の横にオーナーさんの手があった。 ようやく会えた、またいっぱい撫でてもらえると思ったのに、青白くなったオーナーさんの手はピクリとも動かない。僕はここに居るよ! と叫びたかったけどそれもできない。 オーナーさんに似た手が僕の頭の上にオーナーさんの手を乗せてくれたけど、そこにいつもの温かさはなかった。

嗅ぎ慣れない変な匂いのする煙が漂う。 周りからいくつかのうめく様な声が聞こえる。

ガラガラという音がして僕とオーナーさんの手は暗闇に閉ざされた。 暗闇の中で僕はオーナーさんの手の重さを感じながら、静かに目を閉じる。

そこには今までに出会った沢山の手たちと仲間たちがいた。 その中には僕を作ってくれた手とオーナーさんの手もあった。 オーナーさんの手が近づいてきて僕の頭を撫でてくれる。

「ひとりぼっちにしてごめんな」

そう言うとその手は細かな光の粒子となって僕を包み込んだ。 すると、色々な”感情”が僕の中に流れ込んできた。

あぁ...... そうか。 これが"嬉しい"っていう感情なんだ。 僕、オーナーさんの手とまた会えてすごく嬉しかった! あれが"悲しい"っていう感情だったんだ。 僕、オーナーさんの手とずっと会えなくてすごく悲しかったんだ...... 一緒に"楽しい"時間をいっぱい、いーっぱい過ごしていたんだね。 僕、オーナーさんの手と出会えて、すごく"幸せ"だったよ!

あのね、それでねっと言い残したい感情は語 り尽くせないほどあったけれども、僕の意識 がどんどん遠くなっていくのを感じとった。 とびかける意識をなんとか繋いで、僕は一番 うけとって欲しい言葉をそっとつぶやいた。

僕の周りを包み込む優しい光にすりすりと頬ずりをする。 高温になった鉄の箱の中でキラキラと輝く火の粉が瞬いて消えていった......    (9枚)