告白
虚偽
例えば高校生くらいになると内々でお互いの性的嗜好を暴露して笑い合うイベントがあったり、中高生で性癖専用アカウントを新しく作った時に多数の仲間ができたりしたことがあったと思う。 さらに大きくなってオフのイベントに誘われて、この界隈がいかに楽しいかを知ったことだろう。 その時何を思ったか。 好きなものを好きと言える環境が好き? 同志の人と繋がれた安心感? 自分の存在を肯定的にできる場所? 自分の求める絵も小説も着ぐるみも、もっとレアなものだって、たいてい手に入る充実感?
いやいや、ただ、空しい、と。
人の皮、あるいはケモノの皮を被っているかもしれないが、その下にある底知れぬ情熱、愛情、ときには怨嗟、憤怒、傲慢、侮蔑を煩わしいと思ってしまった。 それじゃケモノが好きなのではなくてケモナーが好きないわゆるケモナーナーでも目指しているのかという反論もあろうが、ケモノはどのみち架空の存在である。我々がいかに彼らを独立した個として限りなく現実に近い存在にしようとしても現実にはならない。 ケモノを規定しているのは人間でしかない。これは着ぐるみやVTuberの仕組みとよく似ている。 ケモノ特有の容姿やら思考やら文化やら、各位がケモノたちに何を求めているかは知らないが、結局は人間がケモノに”与えた”設定でしかない。 とどのつまり、ケモノが好きなのではなく他人の考えた設定が好きなのだと。もっとも、これは他のどんな嗜好についてもいえることだが。
ではなぜケモナーをやっているかって?
――人間が恐いからだよ。
(原稿用紙3枚)