核戦争を経て、この世界の人間は世界中を包み込んだ放射線によって滅ぶ……事はなかった。あろうことか人類は放射線に適応し、『能力』に目覚めた結果様々なミュータントが生まれた。重機のような怪力を誇る者、空を飛んだり炎を出したりするもの。怪物に変身する者。重力を操ったり、他人を癒す能力の持ち主もいる。特にこの街は残留した放射能が多く、放射線の影響がまだ色濃く残っていた。その影響で生まれた子供の死亡率が高い反面、成人する頃には多数の人間が能力に目覚めるため、世界有数のミュータントの見本市となっていた。

 そんな街で、俺は建設作業員をやっている。正義の味方をやっている自警団も、警察も、犯罪者も、格闘家も一般市民も半数近くがミュータントのこの街だ。建物はひっきりなしに壊れるから、うちの事務所は毎日休み知らずに稼働している。うちには建物の修復に適した能力を持ったミュータントも多数在籍しているので、特に注文が多い会社なのだ。そんな会社で俺は、天井裏など細かいところの作業を担当していた。何故かって、それは俺の能力が猫に変身するというものだったからだ。実際のアメリカンショートヘアと相違ないサイズや質感の形態。ほぼ人間サイズの獣人、もしくはチーターのようなデカい猫まで幅広い変身パターンを持っている。ある程度人間の道具も扱える程度の器用さも残せるよう、手の形状だって調整できる。俺はその能力といくつかの工事の資格を買われた。狭いところでの作業にこれほど適した人材はいないと、そういう仕事を任されている。それはいいのだが、この街は治安の悪さに比例して経済状況も悪くて、仕事はハードなくせに給料は安い。警察が機能していないから労働組合も機能していないので、賃上げの要求をしようにも、どうにもならない。いつも家に帰るころには、クタクタになって料理を作る気力すらないため、宅配料理に頼りっきりの毎日だ。しかし、負けてはいられない。俺は今はこんなクソみたいな街に暮らしているが、いつかはこの街を出て、もっとまともな暮らしをするのだ。そのためにも、お金は無駄遣いしない。酒もタバコも、ドラッグもやらない! 趣味だって、金をかけずに行うのだ。  そんな毎日の疲れを癒す俺の趣味は、自身の能力で変身して猫として過ごす事であった。完全に野良猫に擬態した姿の状態で街を歩くのはとても気持ちがいい。赤ん坊のような低い視線で人間を見上げながら歩くことになるが、道行く人間は猫に対してはみんな無警戒で、人には聞かれたくないような話も平然と続行する。時には俺の体を撫でてくれたりもする。同僚や部下が会社の中では見せないような表情も面白い。上司のことは猫のふりして殴ってやりたかったが、さすがに猫の姿でも上司に危害を加えれば正体がバレてしまいそうなので、それは今のところ実行できていないのが残念でならない。  しかしながら、俺が真に求めているのは人間と猫のふれあいじゃない。そう、猫同士でのふれあいだ。とある料理店の店の裏。食べ残しだったり、人間には食べさせずに捨ててしまう部分を野良ネコに与えてくれるお店があるのだ。糞の害で苦しんでいる近隣住民には迷惑な話かもしれないが、こうして野良猫が集まる場になっているのはありがたい。 猫と同じサイズになったおかげで、野良猫たちは警戒心もなく近寄ってくれるし、こっちが甘えてじゃれついても怯えて逃げたりなんてしない。寄り添って添い寝をすると、暖かくて大きな毛布を存分に堪能できる。さらに、猫の言葉もある程度わかるようになってきたのだ。これを幸せと呼ばずに何と呼ぶべきか。  「にゃあ」、という鳴き声に対して、こっちも「にゃあ」と返す。猫たちの言葉は人間の言葉と違う。人間の言葉は文字を音にするのだけれど、猫の言葉は映像を文字にする。だから、彼らの鳴き声を聞くと、頭の中に映像が浮かんでくる。毛づくろいしている映像、食事をする映像、退屈だから何かしたいという映像。この会話も、能力に目覚め始めた最初のほうは訳が分からなかったけれど、最近はかなり解像度が上がってきたものだ。頭に思い浮かぶ映像に従って行動すれば、メッセージを送ってくれた猫たちは大体喜んでくれる。  そうやって猫たちと交流を深めると、体を寄せて甘え声を出してくれるのだからたまらない。こっちも同じように体を寄せて思う存分に甘え、乱れた毛並みを整えてあげる、お金を払ってでも体験したいこの至福の時を、無料で楽しめるのだから、いい能力に恵まれたものである。  理不尽な客、クソ上司、悪い治安。そんな理不尽に摩耗した俺を癒せるのは、何も考えることなく、この『かわいい』しか存在しない空間でただ過ごしているだけ、何もしないということを存分楽しめる時間だけだ。  そうやって、癒される時間を過ごした後は、俺は人間としての生き方に戻っていく。仕方のないことだ。俺は猫のようにゴキブリやネズミを食う勇気がまだない。雨の日に屋根のない場所で眠ることもしたくない。猫のひと時を楽しみたいという思いはあれど、本当の猫として生きるだけの覚悟もない。中途半端かもしれないけれど、こうやって猫と人間の生活を行き来するのが、俺にできる精一杯の処世術だ。 「おらぁ! お前ら! 次々と注文が入っているんだ! 休んでないでさっさと働いて、次の現場に行くぞ! 次はグレイトエレファントが暴れた現場だから人手がいるんだよ!」  上司からの檄が飛んでくる。巨象に変身する正義のミュータント、グレイトエレファントの現場というと、きっと派手に建物が破壊されていることだろう。残業が日常茶飯事になるので行きたくないが、そうも言ってはいられない。 「なんだよ、こんなのちょっと直しただけじゃねーか。こんな30分の仕事でこんなに大金取るのかよ」  小さな修繕を任された俺に、客の愚痴が飛んでくる。五月蠅いな、修理の部品とか出張にかかる費用とか考えろって話だ。そもそも資格も技術も持っている俺に文句を言うんじゃねー! 大体、俺みたいに小さく変身できる技術者がいなかったら、壁や天井を破壊して処理をしなきゃいけない場面だってあるんだから、俺以外に任せたらもっと高くつく施工だというのに。昼間はそんな反論を飲み込んで、上司には『はい、頑張ります!』。クソ客には『申し訳ありません、こう見えて機材にお金がかかってるんですよ』と、適当に表情を取り繕ってやり過ごす。全く、ストレスのたまる毎日である。

 そうしてストレスと引き換えに得たお金は貯金して、また俺は無料で楽しめる非日常の世界、猫の世界へと戻っていく。 「にゃーん」  自分の存在をたまり場の猫たちにアピールすると、猫たちは俺の方へ一瞥だけすると、その後の行動はみんなの個性によって十人十色だ。のんびり屋はマイペースに地面に寝そべって来たり、活発な子は遊ぼうと近寄って来たり。その子のちょっかいを無視していると、今度は甘えん坊な子が体を摺り寄せてくる。この甘えん坊なロシアンブルーの女の子、異性なんだよな……はぁ、人間の彼女が欲しい。  現実のことなんて忘れたいのに現実のことを思い出してしまったが、それ以降は人間のことを思い出すこともなく、猫の生活を満喫する。温かく、心臓の鼓動や筋肉の動きまで感じられるモフモフ毛布にモフモフ枕。それらを堪能していると、不意に叫び声が聞こえて周囲が騒がしくなる。あぁ、これは能力を持った犯罪者たちが暴れているのだ。猫の状態ならば狙われることもないだろうが、巻き込まれてはかなわない。俺はここの野良猫たちと一緒に、音のする方向とは逆方向の路地裏、人間が通るには厳しいくらいの閉所へと逃げていく。  そんな時、甘えん坊のロシアンブルーの子だけ、全く逃げる様子がないどころか、音のする方に向かっていくではないか。 「ミャー!」  精一杯の警告として、逃げる映像を思い浮かべながら叫ぶ。しかし、それでもロシアンブルーの猫は止まらず、路地裏から大通りに出てしまった。あぁ、危ない! あの猫は何を考えているんだ! 「ちっ……人が楽しんでいる時によぉ! 待っててねアメショ君。必ず帰ってきてまた遊んであげるから!」  突然猫がそう言って、人間の女性に変身したかと思うと、その女性はさらに巨大な象へと変身する。 「おらぁ! 平和を乱すチンピラども! 俺様がぶちのめしてやるぜ」  勇ましく犯罪者達へと向かっていく彼女は、グレイトエレファントの正体が……女で、しかも象以外にも変身できるのか。俺は、正義のヒーローの意外な一面を発見してしまったようだ。