たった一つのオレの罪

仁王立ちクララ

    0.罪と美徳についてのプロローグ

「クソみてえな気分」  ファミレスで待ち合わせをしていたら、きみが時間ぴったりにやってきた。  頭から血を流しながら。  しかめっ面である。痛みを我慢しているからか、それとも怪我を負ってしまったことへの怒りなのか。  きみはハクトウワシに似た姿の鳥人で、目つきが悪い――と言って可哀想なら、眼光が鋭い。いつもどこか怒ったような表情をしているから、結局それはいつもどおりだった。  ぼくは違う。 「今日はなんて幸運なんだろう。今なら神に祈りを捧げてもいい」  きみがぼくに向ける目線には恨みがこもっていた。 「心配しろよ」 「だいじょうぶ?」 「心がこもってねえ」 「生まれてこの方、他人の心配なんてしたことがないもの」 「終わった人(丶)間(丶)」  同感である。人間として生きるのは、いささか窮屈だと思っていたところだった。そろそろ人間をやめてもいいかもしれない。できることなら、きみのような鳥人になりたいと思う。  きみの視線は見下した目つきから、可哀想なものを見るそれに代わっていた。頭から血を流してもなお、他人を可哀想と思えるきみの感性は、聖人に該当されてしかるべきと思われるので、きみはおおいにチヤホヤされた方がいい。  はあ……  きみ、尊い。 「すみません。お冷、いただけますか」  きみは、ぼくたちのそばを通った従業員に声をかけた。従業員は血を流しているきみに目を剥いたが、顔を引きつらせて了承した。きみがあまりに落ち着いているから、なにかのコスプレと思ったのかもしれない。  きみはぼくの向かいに腰かけ、肘をついた。むすっとしたまま黙っている。 「話さないの?」と、ぼくは尋ねた。 「なにを」 「なんで血だらけになったか」  きみは半目でぼくを見る。  これがジト目というやつか。破壊的の魅力に富んでいる。きみ尊すぎ問題。 「どうせネタにするんだろ」 「そりゃね」  顔を血だらけにする経験談など、滅多に聞けるものではない。それを記さないなど、きみの経験が哀れだ。 「じゃあ言わねえ」 「そう」  すぐに諦めたぼくを見て、きみが警戒した。残念。とくになにもない。あるとすれば、きみの尊さくらい。  きみは自分の尊さを理解できていないので、きみを見ることが、きみのリアリティと血にあふれた経験談を聞く以上に満足度の高い行為だということも理解できないだろう。愚かだった。  きみはしばらくぼくを睨んでいたが、やがて溜め息をついた。 「まあ、いい」  よくない。  きみの尊いお顔に傷が残ったらどうする。きみは美形であることがなによりの取り柄なのだから、外見を死守するのは義務といえた。 「それで、今日はなんなんだ」  ずいぶんな言い方だ。  しかし許そうと思う。きみは尊いから。 「――そろそろ、同棲しない?」

    1.傲慢と謙虚

 ぼくが知るきみについてのことを、改めて思い返したいと思う。  鳥人に特有の傾向であるそうだが、中でも鷲はとてもプライドが高いと知られている。この場合のプライドというのは、他人からではなく自分から見て今の自分が気高くあれているかどうか、という美意識の問題だ。きみは、納得のいかないことはどんな些細なことでも我慢がならず、自分がこうと思ったことにどこまでも忠実に仕えるという態度を、いつのときも貫いていた。  たとえば、きみはたいていVivienne westwoodしか着ない。Yohji YamamotoやCOMME des GARCONSも好きだけど、基本はVivienne。ファッションの先頭を常に走りながらも、流行に左右されない頑固さや、いい意味でのマンネリをきみは好んだ。信用可能。趣味嗜好など、そうすんなり変わるものじゃない。趣味嗜好を時代によって変えて生き残ってゆくブランドやひとびとのことを、きみは大嫌いだった。  ぼくはとにかく流行に疎いもので、ファッションにも知識以上の関心を持たなかった。Vivienne westwoodという洋服のブランドがあるということも、まったく知らなかった。でも、きみが着ている洋服はきみにとてもお似合いだった。きみのために洋服があるといっても過言ではないほど、しっくりと似合った。  きみは着るもの以外に対しても――けっこうくだらないことに関しても――、度々プライドを求めた。学生のころ、きみは「気が乗らない」という理由で約束を破ったり、あらかじめ決まっていたスケジュールをドタキャンしたりということで有名だった。それはひととしてどうかと思うのだが―― 「気が乗らないのに約束だから守らなきゃいけないなんて、嘘っぽいじゃねえか。みっともねえ」  約束だから我慢する。約束だから妥協しなければならない。そう言われるとき、きみは約束がそんなに大切かと思わずにはいられない。きみのそういう態度は、たとえば大人になって仕事をするようになってからも変わらなかった。仕事なんてものは、人生のほんの断片にすぎない。重要なものではない。  コンビニの店員がレジに並ぶ客の列を前にして、「すみません、俺、小便がしたくなったので」とレジ打ちを放棄し、客を待たせて悠々とトイレに行こうが、きみは怒らない。なぜ、トイレを我慢してまでレジ打ちをしなければならないのか。膀胱炎になってまでしなければならない仕事ってなんだ。そうきみは思うのだ。生活を円滑に営むために仕方なく、みんな仕事をするのだ。仕事なんてものは人生の優先順位の中で最も軽んじられていいはずのものだ。  仕事といえば言い訳がたつ、社会の約束や命令はすべての再優先課題だと思い込んでいる者は、それ以外のことにまるで興味がないのだろう。もし、ヒトとして真っ当に生きようと自覚的であれば、ヒトも動物である。遺伝子を残し、種を保存する以外、与えられた仕事なんて他愛のない行為だということくらい、すぐに判断できるはずだ。 「オレに耐えられないのなら、オレのことなんて相手にしなきゃいい。友人知人が多くなって取り巻きが増えても、オレはいい気にならない。その代わり、友人知人がひとりもいなくなっても、オレは落ち込まない」  ぼくはきみに釘付けになった。きみこそがぼくの待ち望んでいたひとなのだ。きみのプライドを、きっとだれも理解できない。きみの求める「納得」というものに共感できる者などいやしない。だけどぼくはきみのその気高さを――なにも恐れないきみの振る舞いを「美しい」と思ったのだ。  ぼくはきみと共にありたいと思う。ぼくにとってそれは初恋だった。かといってぼくは、きみとキスがしたい、体を絡めあいたいという欲望は持っていない。ぼくはきみとゲイな関係になりたくはない。あくまでプラトニックに交わりたい。しかしどうすれば、ぼくはきみと共にあることができるのだろう?  ぼくは毎日、朝起きてから寝るまで、きみのことばかりを考えている。歯を磨いているときも、ごはんを食べているときも、授業を受けていたときも、仕事のときも、きみのことを考えているのだ。どうしたらきみに少しでも近づけるだろう。なんとかならないだろうか。なんとかならないだろうか。

    2.怠惰と勤勉

 色々なことに有能なきみは、学校の成績からして優秀に尽きた。きみは頭の切れるひとだけど、きみの成績がよかったのは天才だったからじゃない。そうあろうとする努力を惜しまなかったからだ。  きみはそれを努力とは呼ばない。きみにとって学校の授業は「趣味」にも近いものだった。 「学校の勉強なんて、将来なんの役に立つのかって言うヤツがいるよな。馬鹿馬鹿しい。知らないことを知る以上に面白いモンがあるもんかよ。知識ってのは、それ自体が価値なんだ。知識があることで得することはあるだろう。でもそれは副次的なものだ。知識を、得をするための道具としか考えないヤツに限って、勉強する意味とか言いはじめるんだよ」  そうした主張のほとんどは実際のところ、学校というシステムの構造的矛盾や、勉強に費やす時間的コストや、コストに見合った報いが必ずしも担保されない不条理さなどを嫌っているのではない。単に勉強したくないだけなのだ。授業をサボるための言い訳探しにすぎない。  授業がダルいなら勝手にサボればいいと、きみは言っていた。本当の本当に我慢ならないのなら、だれがなんと言おうと反骨の態度を崩すべきではない。明け渡してはならないものを明け渡すくらいならば、きみは生きていなくなどないのだ。でもそうじゃない。それほどの意思を、ほとんどの学生は持たない。面倒なことを面倒だと言わず、こまっしゃくれた論理で武装しながら、これという意思も持たず、結局は社会の思惑通りの鋳型(いがた)に渋々と嵌められてゆく……ほとんどがそういう怠け者たちだ。手を動かすことには真面目だけど、意思を持つことや思想することを厭う、典型的な現代の若者たちなのだ。  プライドを至純至上とするきみは、そんな連中のことをなによりも軽蔑していた。  好成績をキープし続けるきみのことを、尊敬するクラスメートは大勢いた。みんなが嫌う授業や課題や試験というものに熱心な、きみの姿を。傍若無人に振る舞いながらも、学校というひとつの社会に溶け込んでいるきみのことを、彼らはきれいで素晴らしいものだと思った。それが正しい姿だと思った。相対的に、社会に溶け込めない者のことを、なんとなく悪いことだと思った。 「アホか」きみは舌打ちした。「それのなにが正しいんだよ」  きみのアイデンティティが、たまたま世間の好ましいところと合致したから好感触を得ているだけだと、きみは言った。きみにとって、学校の授業はただの趣味だった。なになにが好き、という問題にすぎない。それを将来のためとか、社会のためとか、そういうふうになにかの理由をつけようとするのが間違っている。その理由の意味をきけば、また別の理由が出てくるだけである。その問答に終わりはない。  きみは好き勝手にやっているだけであり、それがたまたま学校の成績の役に立つだけだった。そして、きみより世の役に立つ趣味の者だけが、さらに偉いと思われたり、きれいと思われたりしているだけなのだろうと、きみは言った。 「お門違いだろ。自分勝手すぎるだろ。働くから偉いんじゃない。だれかの役に立つから偉いんじゃない。たまたまそういう趣味が、だれかの役に立ったから好かれてるだけじゃねえか。働く姿が美しいって? それを言ったヤツの趣味の問題だ。たまたま労働の姿をきれいだと思うヤツが多いだけなんだよ。偏見でそう思ってるだけだ」  きみは、きみの能力を、だれかのためになんて一度も使わないと言った。それは、きみが面白おかしく生きてゆくことだけに使われるべきだ。そうして、誰も彼もが責められればいい。仕事をしてごめんなさいと謝ればいい。働くことを趣味にしないヤツがいたっていい。そいつを指差して罵るのはおかしい。寄ってたかって、ひそひそ話の中で精神的な不細工だと罵るのは不公平すぎる。 「絶対に許さねえ」と、きみは言った。「いつか大学を出ても社会の役に立たず、ダラダラ遊び呆けるだけのオレに謝れ」  ぼくは、労働の美しさに対する幻想を捨てきれない。きみが言うように、仕事や勉強に熱心であることを正しく感じたり、美しく感じたりするのは一種の偏見にすぎないかもしれない。だけど、なにもしないこともまた虚しいものじゃないだろうか。ぼくはきみと関わりあいながら生きてゆきたいと思っている。  きみの趣味において、仕事をしたくないという想いがあるとして、それでどうやって社会と接してゆけるだろう? きみは頭がいいから、きっと答えをもっているだろう。でもきみがこの世界において、幻想を破壊することは難しい。きみの生き方は今をもってなお、「仕事をすることは義務であり正しいことである」という考え方自体を、少しも傷つけてはいないのだ。 「滑稽だと思うなら、おまえもいつだって、オレに愛想を尽かせばいい」  きみのその言葉は、強がりや保身ではなかった。きみはその本心をいつだって体言している。建前というには、あまりにも一貫しすぎていた。 「きみが仕事をしたくないというのなら、それでもかまわないと思う。きみのプライドが許さないことを、無理に納得する必要はない」  ぼくがそう言ったとき、きみは面白そうに「ふうん」と笑った。 「でも、それだと生きてゆけないんだろう? だれも納得しねえんだ」 「少なくとも、ぼくは認める」  きみの嘘偽りなく飾らない自分が、学生というある限られた期間、他人からは美しく映った。世の中には、たくさんの努力をしてようやくそういうかたちになれる者もいれば、たくさんの努力をしても絶対にそういうかたちになれない者もいる。その不公平さ。不公平であることが悪いのではない。問題は、みんながそう思っているということなのだ。それが正しいと考えていることなのだ。  それを認めたいと思った。きみが自分の趣味にのみ忠実で、社会に対する反骨をきわめたとき、きみの言うとおり、世界中のだれからも見向きされなくなるかもしれない。それでもぼくだけはきみの味方でいようと思ったのだ。 「おまえも、これから大変だな」  きみはゲラゲラ笑った。いつも仏頂面で、世の中へのあらゆる不平不満を凝縮したような魂をもつ鷲が、あたいなく笑いを撒き散らす姿は、とてもチャーミングだった。くちばしでは表情なんて大きくは変わらないはずなのに、その表情はイタズラな猫のように見えた。

    3.強欲と寛容

 そうはいっても、なんだかんだときみは周囲に認められ続けた。  きみは知識というもの全般に対して貪欲であり、ひとが知らないことを知っていたり、ひとができないことをできたりすると、気持ちがいいと感じる。そこに集められる人目はなによりも高尚なものだった。生半可なプライドでは決して得ることの叶わぬものだった  きみは、月に一回は原宿にあるVivienneのショップに通っている。ハイブランドの中では手頃な価格とはいえ、毎月買い物ができるだけの金を、きみはきちんと仕事に務めることで稼いでいるのだ。職場でのきみはおそらく、きみにしか任せられないポジションに就き、きみにしかできない役目を果たしていると思う。それさえきみは「趣味」だと言ってしまうだろう。  きみがどんな仕事をしていて、どれだけの給料をもらっていたとして、それがなんだというのか。重要なのは、佇まい。アティテュードである。立場や財力といった属性にしか興味のない者など退屈でしかない。本当の意味できみのアティテュードに少しでも触れようものなら、裸足で逃げ出すのが関の山。  きみはきみであり続けた。誇り高く、面倒くさい男であり続けた。こんな扱い難いヤツが、この世の中に何人いるだろう? それが己の美徳であると、どれだけの自信を持って言えるだろう?  きみは競いあうことが好きだった。獲得や、優越や、達成や、試行錯誤が大好きだった。そういうきみが、活き活きと能力を行使するうちに手の届くことが増えてゆくのは、自然ななりゆきと思える。中でも印象的なのは、きみが中学のころから続けている筋トレのことだ。 「鳥人って、ひどく中途半端だと思うんだよ」  両手のように発達した大きな翼のことを、きみは言った。 「羽根は折れるし、手先は不器用だし、デカいばっかりでなんの役にも立ちやしねえ。そのくせ骨がスカスカで貧弱だ。羽ばたいて飛ぶことなんかできねえのに……地べたを這って生きることを選んだくせに……なまじ鳥のカラダだけが残ってる」  きみの筋トレは、別にジムに通うほどの大袈裟なものではない。腕立てや腹筋やスクワットを、少しの空いた時間に十回や二十回こなす。趣味や勉強や仕事の合間、疲労らしい疲労も感じないくらいのワンセットを、少しずつ、ただし一日に何度でもこなし続けた。  その累積が、きみの美しい体躯をつくりあげていったのだ。とくに目を引くのが胸筋だ。羽ばたくために発達しやすい胸板は、豊かで柔らかな羽毛が相まって、体からひとつ前にせり出しているのだ。ゆったりした服を着れば、たっぷりした白い毛が胸元から溢れ、タイトな服を着れば体本来のシルエットを明確にする。たるんだところのない、引き締まった頑丈な体。鳥は体が脆いというお約束を、きみの前ではだれも口にしない。思えば色々なことに有能なきみは、体育の授業や体育祭でも常に活躍していた。  能力や、努力や、工夫が足りずに負けるなら、きみは納得できた。百でも二百でも、負けてよかった。課題と反省を勝利の糧にできた。でも鳥に生まれたことの身体的特徴で負けるのは――あるいは戦う前から負けが決まっているのは――、とても我慢がならないのだ。鳥の体はきみが選んだことじゃない。その因果にきみの意思は少しも介在していない。鳥に生まれなければ勝てていたはずの敗北なんて、きみは絶対に認めないのだ。  プライドを至純至上とするきみは、優秀であることや勝利することに対して情熱的の執着をみせる。弱点を弱点として放置することを、よしとしない。 「ぼくはきみの翼、好きだよ」  ぼくがそう言ったとき、きみは鳥人のためにざっくりと裂けた袖口から出した翼を、大きく広げて見せてくれた。  その雄大さ。濃い茶色をした風切羽にまみれた、鳥人に特有の姿。もはや空を飛べはしない鳥人の、美徳の塊じみた両翼。羽ばたけば空気にしなり、わずかに湾曲する。それは本当に飛べないのかと疑わしいほどの、生命的の躍動を生む。  にたりと笑う。きみの笑顔は希少価値が高い。 「オレも好きだ」と、きみは言った。「なんの機能もなくて、邪魔くせえ。その無駄さがいい。不自由さも、またよしだ。これに愛情を感じられるのは、鳥人だけの贅沢だよ」  きみは、自分が相当の美形であることを理解している。でもきみが美しいのは容姿以上に、愛おしく思える自分というものに忖度しないからだ。格好いい自分。素敵な自分。そのためのプライドを曲げないきみは、自己実現の鬼だ。  音楽についてもそうだ。きみはやがて、趣味の幅を音楽にも広げた。  ただ、色々なことに有能なきみにしては意外と思うべきかもしれない。きみの音楽はちっとも売れなかった。有名になりそうな気配すら感じられない。獲得や、達成や、優越や、創意工夫が好きなきみのパンクロックは、いつまでも小さなハコで披露する趣味――不人気バンドであり続けた。  きみの書く歌詞は意味がわからない。よくそう言われるのだと聞かされた。 「文学的、とか言うヤツもいるけどな。要するに理解できないってことだ。オレは歌詞を理解してほしいと思わない。オレは、感情や思想をだれかにわかってもらいたいと思うほど図々しくない。だれかの書いたつまんねえ歌詞を歌うくらいなら、稚拙でも自分で書いた歌詞を歌ったほうが気持ちいいから、書いて歌ってるだけなんだよ。ビジネス的に成功したいんなら、もっとみんなが納得する歌詞にすればいい。失恋しても悲しみを乗り越えて頑張ろうといか、いつでもきみを応援してるよとか、そんなの書いておけば適当に売れるんだろ。でもそんな大衆におもねってまで音楽を続けたいと思ってねえし、成功したいとも思ってねえ。パンクって、そんなもんだろ。守りに入ったり、未来について考えはじめるパンクほど、みっともねえモンはない」  芸術なんてものはマスターベーションでしかないのだから、きみの音楽はどこまでいっても趣味の範疇を逸脱しない。自己実現に対する執着と、無駄や自己満足を許容する不自由さ。その矛盾を軽やかに共存させてしまうきみは、それこそしがらみの持つ重力をものともしない、飛翔する鳥のように自由だと思う。 「欲望に忠実ってだけだろ」と、きみは言った。「オレなんて、欲望の奴隷になってるだけかもしれないぜ」 「自由は自分から生じるものだよ」と、ぼくは言った。「欲望なんか振り切る力への意思があれば、それはまさしく自由だ」 「力任せな論理だな」  スマートじゃない、と言ってきみはくつくつ笑うのだった。だけど満更でもないと見えた。だれだって、空を飛ぶ鳥は自由なのだと信じている。飛ぶことがどんなにか自由な行為であると信仰している。それはある程度、きみにとっても同じなのだと思う。

    4.暴食と節制

 貧乏は悪いことではないが、貧乏くさいことは諸悪の根源である。  きみの中で、貧乏と貧乏くさいがどう違うのか。たとえば、きみの部屋には金子國義のリトグラフがいくつかある。本当は國義の油彩がほしいところを、きみは油彩を買うほどの金を持っていないから、リトグラフで我慢するのだ。この貧乏を、きみは悲しいことには思わない。でもそのリトグラフを買って、それをプラスチックの安い額で額装することは、いけないことだと思うのだ。貧乏くさいことだと思うのだ。リトグラフしか買えずとも、とびきり高価ではなくとも、ある程度金をかけたお気に入りの額に絵を入れることをしなければ、貧乏は悲しくなってしまう。  きみは収入が厳しくとも、Vivienne Westwoodで買い物をすることをセーブする気にもまったくなれない。そして食事にもお金を惜しまない。急に「寿司が食べたくなった」と言って借金したことさえあった。金がないからといって、自分のライフスタイルを制限し、貯蓄して、通帳の残高を増やしたとて、それが何になる? きみは金がなくなれば借金をしてでも、自分のライフスタイルを守る男だった。きわめて金のかかる男だった。  ある日、和食店で隣の客がこんな話をしていた。 「どうも我々は飲み過ぎるようだ」 「然り」 「何事も節制を旨とせねばならん。僕はお酒を飲むのをやめようと思う」 「そんなら僕もやめた。しかし、やめたと言ってみても、どうにもすっきりしないものだね」 「飲むのを止めるという消極的行為を、積極的なものにしなくてはならん」 「どうやって」 「要は、お酒を飲むべき環境において、あえて飲まないということをすればいい。居酒屋に行ってつまみを食って、炭酸水だけで済ませて帰ってこようではないか」  たちまち相手が賛成して、揃って席を立っていった。  それを横目に、きみは塩をかけた木の芽のてんぷらを食べ、葱の浮いた味噌汁を飲んだ。 「きみ、少しふっくらしたよね」  そんなきみもなんだか可愛い、とぼくは言った。だけどきみの仏頂面は、さらに目盛り一つ分、不愛想になるのだった。 「嫌味言ってんのか、てめえ」  久しぶりに会ったきみは、きみが気にするほどには醜く太っていなかった。しかしきみの至純至上のプライドは「太る」というそれ自体が大いなる禁忌と考えている。だけどきみは本来、相当な健啖家である。  鳥のくちばしには歯が生えておらず、食べ物は丸飲みするしかない。それはつまり、「食感」という料理を楽しむ要素――その一部あるいは大部分を切り捨てざるをえないということだ。だけどきみは、鳥に生まれたことで被る様々な不利益を許容しない。食に対しても同じだ。世のひとびとが当たり前に楽しんでいる食というものへの関心は、きみの嗜好の中で大きなウエイトを占めていた。咀嚼が不可能としても、誰よりもたくさん、美味しいものを食べて生きてやるという通念を持っていた。  それと同時に、きみは一日一食というルールを自分に課してもいた。それは体型維持のためだった。鷲として生まれたからには太ることなど言語道断という美意識をきみは持っている。  美しく調った健康な肉体にこだわること。きみはそれを「抑圧」とは考えない。欲望を我慢して押さえつけるのではなく、節制ある在り方を選択することに喜びを感じる。それはなにかを渋々と我慢することではなく、本当に満足する在り方へ自分を導いてゆくことだからだ。そうした習慣の積み重ねが理性ある人格を形成し、欲望への葛藤を振り払う。幾何学的の美しさに安定と持続をもたらす。  そういうきみが太るというのは、相当に珍しい。ふっくらしたきみというのはとても貴重だ。 「クリスマスだの正月だの、年末年始は付き合いが多かったんだよ……」  体重が七キロ増えたと、きみは悲観的に言う。一日一食で生きているきみだが、誘われれば断るほどのことはしない。それでもこの冬の付き合いは、度が過ぎた。ただ、その付き合いとやらは強制されたものではなかったことをぼくは断言できる。きみの性質からいって、付き合いだからと仕方なく気の進まない会食に出るわけなぞなかった。パーティーだかなんだか、楽しい催しに参加して美味に舌鼓を打ったことだろう。  そして、ぼくと話しながらもきみは茄子の焼いたやつを食い、どろどろした自然薯の汁を飲むのだった。 「というか、きみが重いのはこれのせいでしょ?」  ぼくが向かいの席から腕を伸ばし、その胸からせり出す筋トレの成果どもをむんずと掴むと、きみは妙な悲鳴を上げて、ぼくは頭をブン殴られた。きみの拳は、空洞の骨とは思えぬほど重かった。贅肉よりもよほど重い筋肉を証左する威力であった。 「いいか? オレは痩せようと思う」 「でもきみ、そう言って今もたくさん食べてるじゃない」 「オレは夜には食いたいだけ食うんだよ。朝と昼に食うのをやめるという消極的行為を、積極的行為にするためにな」  そうして右の翼を持ちあげて、きみは言うのだった。 「おじさん。日替わりもう一つ。ごはん大盛りで」

    5.色欲と純潔

 ロココの代表画家の一人であるブーシェに対して、こんな発言が残されている。 「道徳的に堕落しており、優雅というものを理解せず、真実というものを知らず、自然を決して見たことがない人物であり、趣味に欠けている」  また、このようにも言われている。ブーシェの絵画は「優雅さ、甘ったるさ、空想的なギャラントリー、コケットリー、安易さ、変化、輝き、化粧っぽい肌の色、淫らさ」しか持ち合わせていないと。優雅を理解せずと言いながら、一方では優雅であると言ったりして、ひどく矛盾した意見である。彼らはとりあえず、それっぽくなるもののすべてが大嫌いだったのだろう。  そんなブーシェとロココへの酷評は、しかしきみにとってはそのまま誉め言葉にすら読めてしまうのだった。道徳や真実よりも優雅さを尊重し、これからどうなるかも知り得ぬ未来に意味を与えることよりも、刹那の享楽に溺れ、論理も慣習も無視して、自分がいま確かに体験している事実にしか価値を与えない。どんなに考え抜いて苦悩した結果に導き出した結論だろうと、つまらなければ、美しくなければ認めない。冗談半分に作ったものであっても、生理的に気に入ってしまえば、それに価値を与える。他人の評価や労力を査定の対象とはせず、自分自身の感覚で、これは嫌い、これは好きと選別してゆく究極の個人主義こそが、きみの根底を支えているのだ。きみの思想はパンクでアナーキーだ。エレガントでありゴージャスだ。そこにこそ、生きることの意味を見出すことができる。 「常軌を優先すれば幸せになれるのか?」と、きみは言う。「もし幸せが約束されるとして、その幸せは何かしらの我慢の上に成立するものじゃないのか? 我慢するくらいなら不幸でいいんだよ。こんな出鱈目な世界に生まれてきたこと以上の不幸なんてあるわけがねえんだからな」  優雅という名の下に、きみの青春は淫らに尽きた。さすが鳥に生まれた男だけのことはあり、魅せて誘うという手腕において、きみの右に出る者も左に出る者もいなかった。そこには男も女も関係なかった。鳥は総排泄腔という内性器をもち、男でもペニスを持たない。ノンケの鳥であっても自慰の際にはディルドなどを用いて挿入のオーガズムを楽しむ者は多い。それが長じて同性愛に目覚めるのも、それほど珍しいことではない。性交は、きみにとっては破廉恥なことではなく一種の遊び、もしくはスポーツのようなものだった。  そんなきみは、たった一度だけ、清らかな恋愛を経験した。相手は大学時代に知り合った、二つ年上のガールフレンドだ。彼女を最後に、きみは女性と恋愛をしなくなった。同性ならよいということでもないだろうけど、きみにとってはとても触れられないほど大きな傷だから。  きみと彼女との関係は、友達としてスタートした。きみは彼女のことを、感じのいいひとだと思っていた。感じのいいひとだから、軽々しく扱って傷つけてはいけないと思い、このときばかりは、きみは享楽に短絡することをやめた。慎重に仲を深め合い、やがては真剣に愛し合うようになり、交際していた。少なくともきみは、そこにある血の通った絆のことを信じていた。  やがて社会人になったきみと彼女は、交際こそ続けていたが、そうマメに連絡を取り合っているわけではなかった。きみも彼女もなにかと忙しく、便りがないのはいい便りだと考えていた。しかしある日、気が向いて電話をしてみたら番号が使われておらず、LINEで連絡をすれども既読がつかなかった。そこできみはやっと、「これはどうしたことか」と思った。虫の知らせなどというものは所詮ファンタジーの中のみにしか存在せぬのか、あるいはただの偶然にバイアスがかかっているだけであると確信した。  なんと彼女は、三か月前にはもう自殺していたのだった。きみが知らない男と二人で、練炭自殺だった。  きみと彼女は、仕事三昧で裁量の増える充実と人間関係の恨みつらみを、時々――そう、二ヵ月に一回程度語らうような凡百の社会人と化していた。昔から隠しごとが上手い女だったという。それでいて、きみの隠しごとはすぐに見抜かれる。捨てる捨てられるの仮定はしたことがなかったが、仮定するならばきみは間違いなく捨てられる側だったのだ。 「どんな気持ちで、オレと話してたんだろうな」  きみは言った。それは恨み節よりも、純粋な疑問と見えた。意味がわからない。とても無理だ。嘘があったわけではなく、都合の悪いことだけ上手く隠していたのだと、きみは考えた。男の素性はわからない。もしかすると、きみたちが出会うより前からずっと繋がっていたのかもしれない。  事実を知ったきみは、マジか、そうなのか、と思った。薄情きわまるなオレは、と思った。そして一ヶ月ほどが経ち、なんだか夜に寝つかれなくて、色々なことを考えているうちに耳鳴りが酷くなり、「あ、これはこのまま寝たらうなされるやつだな」と思って、起きて酒を飲んでいたら、涙が止まらなくなった。おせーわ、と思い、きみはぼくを呼んで、洗いざらいを打ち明けた。 「なんかあったら相談しろよって、いつも言ってたんだ。オレはいつもそうしてるんだから、おまえもそうしろって。あいつ、あいつ……私もしてるわって言いやがった……大嘘つきだ……」  彼女はいつのときも、きみになにかを相談することはなかったという。問題はすべて解決したあとに、笑い話としてきみに提供された。性的に揺すられていると知ったときなどは、どちらかが死ぬかと思うほどに喧嘩した。その件は次の日に解決した。つまり、きみには迷惑をかけられないと彼女は考えていた。 「オレは、迷惑をかけてほしかった。馬鹿みてえだ」  自殺もそうだった。いや、それだけならまだいい。きみがそれを受け入れていたのは、彼女が誰に対してもそうであると信じていたからなのだ。きみが思うに、彼女が男を誘って一緒にというのは、考えづらいという。でもわからない。遺書が残っていたわけでもない。きみにはなにも残っていない。別れてすらいない。ただ失われた。わからない。だから、きみにはわからないのだ。実際のところどうなのか。  彼女にとって、きみは迷惑をかけられる存在ではなかった。選んで、努めて、そうであったのだ。いや、それは正確には違うのかもしれない。いずれにせよ、彼女が一緒に死ぬと思うのは、見知らぬ男であり、きみではなかった。 「オレじゃなかった」と、きみは言った。「オレじゃなかったんだ。畜生……」  我慢はきみの天敵であった。でも同時に、痩せ我慢はきみの美徳であった。本当のギリギリ、崖っぷちに追い詰められる最後の最後まで、見栄と意地を張り続けるのがきみの至純至上のプライドだった。だから、泣いてもいいよ、と本来ならばぼくは言うべきところだったけど、きみにはそんなことを言ってはいけないのだ。きみはどんなに彼女のことを好きになってしまっていて、彼女の裏切りを抱えきれなくなってしまったとしても、生まれて初めて、心からの恋を、誰にも語らず封じ込めるのだ。もしも仮に、彼女がいい加減な女で、きみの気持ちに気づいてちょっかいをかけてきたとしたら、きみは彼女をブン殴るだろう。せっかくのチャンスをみすみす自分からドブに投げ捨てるだろう。それがきみなのだ。  きみの目からは、大粒の涙がぼたぼた零れていた。握りこぶしを固めて、涙を流し続けた。嗚咽を漏らさないように、ぐっとくちばしを引き結んでいた。でも感情の波はきみを容赦なく叩き潰した。やがてきみは声をあげながら、鼻水を垂らしながら、涎も垂らしながら、パンクを歌うための大切な喉で、鷲の美しい声ではなく、獣のように泣いた。ぼくはその姿をじっと見守った。きみは自分自身と戦っているから。安易な言葉をかければ、きみは少しは楽になるかもしれない。でも薬で怪我の痛みを紛らわすように、ありきたりの言葉で心の痛みは紛らわせてはいけない。心の痛みを紛らわす安易な手段を覚えてしまったら、きっとひとは、なにか大切なものを損なってしまうのだから。  きみの恋は、それが最後だった。セックスを好むのは相変わらずだけど、相手は男だけと限った。どれほど体を淫らに明け渡そうとも、きみの心は今でも清らかであり続けている。

    6.嫉妬と感謝

 さんざん無様に泣いて泣いて、泣き切ったきみは、高熱を出して寝込んだ。その熱病は、きみを消沈させるくらいにはつらいものであった。それをぼくの前で口にしなかったのは、単にきみの意地だった。  きみは、誰かに弱みを握られても平気でいられる豪胆の部位があった。しかし自ら弱みを見せるのと弱音を吐くのは、平気でなかった。とくにぼくが相手になると顕著であった。この論理はつまり、きみの自尊心と繊細な部位に由来していた。熱病に発症してぼくに弱みを見せなければならないことを、きみはとても恐れた。 「なあ――」  癖のように言いかけたきみの声は止まった。子供が困ったときに親を呼ぶようなそれを、きみは恥じたようだった。 「なに?」  きみにとって不運にも、声はぼくに聞こえていた。泊まり込んで、きみに食べさせたお粥の食器を片そうとしていたところに。 「別に」と、きみは言った。 「別にじゃない。用があるんだろ」 「なら、気の違いだ」  そのとき、きみは小さく咳き込んだ。予兆があれば我慢も利いただろうが、急な蠕動にきみの体は素直に反応した。 「ほら。熱も下がってない」  毛をかきわけて、地肌に到達した指で額の熱さを確かめる。タオルはすっかり温くなっていた。きみはぼくの対応に恨めしそうな目を向けた。きみは勝者に慰めを施されるのがとても嫌いで、その場合の感傷にきみの目はよく似ていた。それでも自分で呼びつけた身で不平は言わなかった。きみはただ黙っていた。 「だいぶ悪い?」 「そうでもない」 「なにかできない」 「なあ」きみは、顔を覗き込むぼくを退けようとして、思い留まった。「タオル、冷やしてくれるか」 「タオルか。わかった」  ぼくは急いでタオルを濡らして戻った。氷水の洗面器もいっしょに持ってきた。その迅速なことに、きみは驚いていた。絞ったタオルを額にあてがうと、ひんやりした感触にきみはほうっと息を吐いた。 「汗、拭こうか」と、ぼくは尋ねた。 「いいよ。そこまでしなくっても」 「そのままだと寝づらいんじゃない」 「そうでもねえよ」  ぼくが献身的の態度を見せるのに、きみはどうも弱っていた。病気を患ったからといって、ぼくがこうも優しくなるとは思いもしなかったのだろう。  ぼくは普段からきみに冷たいわけではない。でも普段から多量に親切を与えるほどでもなかった。ぼくたちは近しい友人だったけれど、同時になにか距離があった。それは縦の距離でなく横の距離だった。進む歩幅は同じでも、進む方向が違うというふうだった。そしてそれは、ぼくたちに快い距離だった。 「おまえって、そんなヤツだったか」  きみはそう言った。  ぼくはつきっきりで看病をした。きみがうんうんと暑さでむずがると、すぐに汗を拭いた。それは転じて、きみが眠れない要因でもあったかもしれない。きみは、ぼくがあれこれ気を回すことを望んでいたかもしれない。でもそんなふうにじっと横で座られているせいで、まぶたが落ちようとしなかったのだ。しかしぼくのほうはそれにまったく頓着しなかった。ぼくはそれを熱の刺激に起因すると思っていた。  これはぼくの、他人の感情に疎いところが災いしていたと思う。それは自他が認めるぼくの美点であり欠点だった。そうしてぼくはそれを欠点であると思いながらも、同時にその評価は美点のほうに傾いていた。それは僕の職業的の業務に、疎さが多大な益をもたらす場合に何度も遭遇したせいだった。 「休んだほうがいいんじゃないか」  きみは暗に、「一人にしてくれ」と言ったのだ。 「だいじょうぶだよ」と、ぼくは言った。 「でも伝染するかも」 「風邪やインフルエンザじゃないんだから」 「わからねえだろ」 「だいじょうぶ」 「なんでだよ」 「勘」 「根拠ゼロ」  ぼくはきみと、そんな問答をしばらく押しつけあった。そうしてきみは、より直接的の言葉で「一人にしてくれ」と言った。  ぼくは反論した。 「ぼくはこうも尽くしてるのに、どうしてきみはそんなふうに言うのか」  ぼくは不意に、いつか読んだ本にこんな台詞があったのを回想した。 「如何に人間が下賤であろうとも、又如何に無教養であろうとも、時として涙がこぼれる程有難い、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰でも知っている筈だ。君はあれを虚偽と思うか」  きみは下賤ではなく、無教養でもない。しかし至純至精の涙を持っているかは知らなかった。  ぼくはきみの並外れたところが好きだった。そうして、きみの「並」を見ると恐れた。ぼくはきみに万葉の心を持つなとは言わないまでも、常にほかのなにかを持っていてほしかった。そうしてそれは冷たく、しかし矛盾して優しく、至純至精の涙などという人間的の観念と縁遠いものでなければならなかった。  それはぼくだけでなく、きみを慕う者が思うきみの理想像だった。それを強制はしないけれど、そうあってほしかったのだ。  でも、きみのあの涙が至純至精の感情であったなら、ぼくは嬉しいと思った。それが熱烈なまでにぼくを求める機会は、それこそ桜の命よりも儚いはずと思われた。  そんなふうに精神的の歓喜を得たとしても、別に肉体的の余裕が増えるわけではなかった。三日間、ぼくが世話を焼きすぎたせいで、きみはよく眠れなかった。ぼくたちは揃って隈を描いた。 「限界だな」と、きみは言った。 「なにが」 「限界なんだ」ぼくを無視して同じことを言ってから、きみはこんなふうに続けた。「なあ、おまえのそれは限定的なのか?」  ぼくはきみの言葉の意味を察せなかった。教えるように、きみは句を足した。 「おまえのその献身は、オレだけに与えられるものなのか。オレだけが味わえるものなのか」  ぼくは、当たり前だと即答したかった。しかしできなかった。それはあまりに身勝手であった。確証もなかった。もし誰か病身の者が現れたら、ぼくはきみにしたように非常の看病をするのかもしれない。それはぼくにとっては素晴らしいことかもしれない。しかしきみにとっては屈辱的のことなのかもしれない。その誰かが、きみの親しい相手でも。 「いいか」  きみはいきなり、ぼくの腕を掴んだ。その翼は熱に浮かされていること以上のもので熱く、激しかった。 「オレが、おまえの、一番だ」  ぼくの感傷は複雑であった。きみからなにか底知れないものを感じた。それが嬉しくもあったし、残念な気もした。そう考える自分を勝手だとも。  それからさらに二日が経って、きみの熱が無事に下がると、ぼくたちの態度も以前に戻った。というより、互いにまったく忘れてしまったような態度でさえあった。それは別に冷淡になったわけではないが、ぼくは少しの間、ぼくたちの関係を冷淡に感じないわけにはいかなかった。きみがぼくに、こう言うまでは。「もしおまえが病気をしたら、今度はオレが眠れねえくらいの看病をしてやる」……

    7.憤怒と忍耐によるエピローグ

「――そろそろ、同棲しない?」  きみの眉間に皺が寄った。  きみは甘いコーヒーを飲んだときに、必ずそのような表情をする。曰く、「苦味こそ味わいであるのになぜわざわざ甘くするのか? オレのコーヒーに砂糖を入れるな。甘いのが飲みてえならソフトドリンクを飲めよ、変態」らしい。ぼくがコーヒーを淹れると必ずそう返ってくる。  でもきみはわかっていない。きみがそうやって、一口だけくちばしで舐めてから、しかめっ面でコーヒーをぼくに押しつけるから、きみの飲みかけブレンドを頂いて、ぼくはやっと甘さを感じることができるのだ。  きみが口をつけるから甘いのだ。そして、せっかくの甘さを苦さで邪魔されるのは我慢ならない。故に砂糖は入れる。これからも。 「絶対しねえ」  きみは、おっかなびっくりお冷を運んできた従業員からひったくるようにコップを奪い、水を喉の奥に流し込んだ。 「それで?」と、きみは言った。「さっさと本題に入れ」 「今のが本題だよ」  びしゃっ――  そんな音がして、ファミレスじゅうが静まり返った。店内に流れるJ-POPが葬送曲の様相を呈した。  客も従業員もこちらを見ている。やっときみの尊さに気づいたらしい。  間抜けどもめ。残念だけど彼はすでにぼくのものだ。 「お客様! だいじょうぶですか?」 「ああ、いいんです。連れが手を滑らせただけなのでお気遣いなく」  布巾を持ってこようとする店員をきみは制止した。  そうとも。布巾で拭くなどもったいない。ぼくは、さっきまできみが握っていたコップの中の水が頭から垂れて前髪が顔に貼りつく鬱陶しさを感じながら、きみを見つめる。  きみは震えていた。 「あのなあ」と、きみは言う。「こちとら二十連勤の末やっと取れた休みを一日中ベッドの中で過ごすと決めた矢先だったんだよ」  ものすごい隈が威圧感を際立たせる。  尊い。 「それでもおまえが、大事な話があるって言うから自転車で飛ばしてきて、途中、信号無視の車に轢かれたけど運転手ブン殴って全力疾走でここまで来たんだよ」  なるほど。頭から血を流している理由はそれだった。しかし、おそらく大破したと思われる自転車はどこに置いてきたのだろう。 「それをよお……そんなくだらねえ冗談のためだけにオレを呼び出したっていうならよお。次は水じゃなくドリンクバーのコーラぶっかけんぞ」  はしたなく耽美で、パンクであった。きみはそんなにぼくをベトベトにしたいと見える。  きみので、ぼくを、ベトベトにだ。 「くだらなくない。本気だよ」  これ以上に重要なことはない。きみのくちばしに触れた水にまみれる感激で意識が飛びそうなので、手早く解決するべき問題だ。 「帰って寝る」  血が垂れ切ってゾンビみたいになった顔は無表情だった。無表情で言い、無表情のまま席を立つ。  このままではいけない。 「美形というのは相対的なものだよね」  ぼくの言葉は聞こえたようで、こちらに背を向けていたきみは訝しみの表情になって振り返る。 「世の中には容姿端麗な美男美女がいる。彼らがなぜ美しいのか、きみにはわかる?」  きみは訝しいままで答えた。「大半が美しくないから」 「そう。時代によって美的価値観が変わっても、美しいといわれる器量を所持しているのはごく一部。多くのひとびとはファニーでアグリーな顔面で生きてるんだよ」  店じゅうから恨みがましい視線が注がれている。ふん、彼に慕われるのが妬ましいか。  お生憎、あなたがたがどれほどのイケメンだろうが美女だろうが、彼はぼくにしかなびかない。ぼくに生まれなかったことを後悔しろ。  見てみるがいい。今も彼はぼくを三角コーナーに沸いたコバエのように見下している。 「みんなが醜いから一部の美しさが価値を持つんだよ。それは不細工のおかげで美形がいるということだ」  ――美形は、不細工に立脚している。 「美形は不細工に支えられて生きているんだよ。優しくしてくれる彼氏……すぐに通る二次面接……異様に優しい上司……美しいがゆえに享受している恩恵は、無数の不細工の屍の上に成り立っている」 「死んではいねえよ」 「美しさは相対的の観念だよ。世界中の石ころが全てダイヤでできていれば、ダイヤの価値は無に等しい。代替不可能性が価値を規定するんだよ。イケメンも同様。世のひとびとすべてがイケメンなら、イケメンは無価値だ」 「よかったな。それならおまえも無価値だぞ」 「つまりヤツらは相対的イケメン。自分の価値を外部に依存している、きわめて脆いイケメンといえる」 「ていうか、さっきからなんでイケメン限定なんだよ。美女とかどこ行った?」 「美しさに相対性がなくなったとき、イケメンに価値はあるのか?」  ぼくは悩んだ。  世の男、全員がきみの顔を持ったとき、はたしてぼくはきみだけを尊いと言い切れるのだろうか?  ぼくから見れば、世の愚民どもはすべて砂にまみれたジャガイモである。俳優は毛が生えた大根だし、女優は途中で折れたゴボウと見える。アイドルなぞ里芋の大群にしか思えない。  きみだけが尊いのだ。  しかし誰も彼もがきみの皮をかぶったら? きみだけが尊いのか? 誇り高き鷲の男であればすべてが尊いのか? 「尊い」とはなんなのか? 美しさに絶対性はないのか? 「絶対的イケメンは存在しうるのか」  きみだけが、唯一無二の尊いでありうる条件はなんなのか。 「そこで、ぼくは気づいたんだ。ぼくはまだ、きみのガワしか知らなかったんだよ!」 「は?」  そうだ。考えてみれば、ぼくはきみの皮膚と体毛の付き方と、筋肉の頑丈さ、くちばしや翼の色、それからきみの持ついくつかの美徳と、いつも着るVivienne Westwoodのことくらいしか知らない。生活リズム。朝食や夕食の献立。内臓の位置。尿や便の排泄量。その他、なにもかも。  ――ノータッチ。  そもそもきみを知っていないのに、そのきみを抽象的の概念に抽出した「尊い」を定義できるはずがない。前提が破綻した命題を探求する阿呆ではいけない。 「つまり、ぼくはきみの中を知り、絶対的イケメンを追求するための同棲を」  ばしゃっ―― 「これが浴びたかったんだろ」  いつの間にやら、きみはつい先ほどまでコーラで満たされていたコップを片手に立っていた。  あーあ、きみにベトベトな液体をかけられてしまった。きみので、ぼくが、ベトベトにされたのだ。  きみの目は、ポップアップした広告のバツ印を押したら、なぜかわけのわからないサイトに飛んだスマホ画面を見る場合に似ていた。 「クソして寝る」  そう言って、きみはファミレスを出ていった。テーブルには千円札が置かれていた。  はあ。  クソするきみ。尊い。 「お客様、だいじょうぶですか?」  ホールに出てきたジャガイモの一人が駆け寄ってきた。水とコーラでびしょびしょになったぼくを見て、ジャガイモが揺れていたが、表情はわからない。ジャガイモがわんさか動いていると失笑を禁じ得ないため、愛想笑いを固める。 「連れの体調が悪かったみたいで。お会計、お願いします」

 時間の無駄だった。  もう、本当に久しぶりに取れた休みだった。医局長の嫌味も、看護師の視線も、同僚の死にそうな顔も耐えに耐えてやっと取れた休みだったのだ。  それを、あのサイコパス――  狂ったように叫びながら猥褻物を振り回している猿のような男が、なぜ法に触れないのか理解できない。  それどころか、芥川賞を受賞し、二〇〇万部を越えるベストセラー作家であるなど、理解する気すら起きない。  これだから自由業は。感情ってもんがわかってない。  ――そろそろ、同棲しない?  ああ、クソッタレ。  こんな顔を見せるのは、ちっともパンクではないわけだ。エレガントではないわけだ。鷲の男としてのプライドが認めない。そんなのは大いなる冒涜だった。最も犯してはならない大罪であった。  本当は、どのような重力からも自由でありたいはずなのに。思い出しただけで、もう……  右目に入った血を翼で拭い、ついでになにかしょっぱいものが目から流れてきたので、それも拭った。 「期待させんじゃねえよ。畜生」