「君は進化についてどの程度知っている?」  小さな背中は、歩きながら淡々と問いを投げかけてきた。私は、さっきまで必要最低限の言葉しか語らなかったはずの彼の、突然の質問に面食らい、逡巡してから答えた。  「生物が徐々に変化していくこと、いい方にとか悪い方にとかではなくて、世代を超えて、色んな方向に変わっていくこと、だったと思う」  私は記憶の彼方に眠っていた知識をなんとかひねり出す。そう、進化とは進歩では決してない。様々な方向に変化し、一見すると退行にしか見えないような進化もあると、聞いたことがある。同僚の文化学者が、文字について講義してくれた際に教えられたはずだ。  「概ねそれで合っている。自然選択と突然変異、性淘汰など色々あるが、概略としての解釈は大事だ」  そう彼は答えた。白色の毛に覆われた背中は、今は暗がりでくすんだ色に見える。いくら照明が設置されていて、迷う心配が無いとはいえ、広大な洞窟の中において、ライトの灯りが映し出せる範囲、そして解像度には限界があった。丸い、私のものに比べると遥かに小さな耳は微動だにせず、洞窟の奥にある、ある一点を、音でさえ捉えようとしているように見えた。  「進化が、この先に関係があるってこと?」  しばらく続いた沈黙に耐えられるほど、そして問いを投げかけられたまま会話を追われるほど、私は我慢強くはない。彼がそんな質問をした真意を、聞いておきたかった。  「そうだな、重ねて聞くが、君は人類学の教諭だったな」  今更馬鹿にしないで欲しい、と一瞬思うが、多くの場合無駄なことを避ける彼のことだ、考えがあって確認したのだろう、と思い直して、しかし素直に答えられるほど割り切れるわけでもなく、沈黙で返答する。長い鼻の先から、ため息にも似た鼻息が漏れ出たのが、自分でもわかる。彼はそれを肯定と受け取ったのか、話を続けた。  「人類の、我々の進化について、人類学ではどのような見解が主流なのか聞きたい」  私は人類学者と言っても、進化ではなく文化が専門だ。そもそもこの現場に呼ばれたのだって、最初はこの洞窟の奥で発見された壁画が、今までに発見された文明黎明期の壁画よりも古く、更に異質なものだったから、ということに過ぎない。元々人類学は世の中においてそこまで活発な学問ではない。多種多様な種族がいる分、人類の起源も一つに絞れないのではないかというのが概ねの常識だった。私のようなゾウなら、草原や森で知的生物への進化を遂げたのだろうし、彼のようなネズミなら、様々な場所で知的生物になれただろう。でも大体は、野生で暮らしていた四足歩行の動物、ケモノであった我々の祖先は、知的生物になり、様々な姿に変わっていったと聞く。  あ、と口を開いたまま止まる。いつもは落ち着きなく動いている鼻や尻尾も、動きを止めていた。目の前に忽然と現れた常識そのものの矛盾に、なんで気づかなかったのだろう、と軽く後悔する。私の重い足音が止まったことに気づいたのか、半歩先で彼が同じく止まり、軽く振り向いた。赤い眼には、何の感情も表出していない、と思いたかった。  「皆、考えても仕方がないからと、この問題について考察を放棄する」  しかし、人類の、我々の進化を考える上で、この問題からは決して逃げられない、そう彼は続ける。  そう、完全に矛盾していた。我々が四足歩行の動物から進化したのは確かだ。化石記録にも、多くの種族の祖先と思しき生物が残っている。しかし、順番はわからない。  例えば、我々が様々な種族に分かれる前に、知的生物に進化し、二足歩行を始めたのだとしよう。それでは、化石記録と矛盾する。様々な種族の化石が残っているのなら、知的生物に進化したのが先だとするのがおかしい。「野生で暮らしていた四足歩行の動物、ケモノであった我々の祖先は、知的生物になり、様々な姿に変わっていった」、という説は、この段階で消えることになる。  逆に、それぞれが知的生物に進化する例ならどうだろうか。それならスムーズに解釈できる、と思う。だけれどあり得るだろうか。異なる場所で、分かたれた様々な種族が、一様に知的生物に進化するなど。  「そう、我々に共通祖先となる知的生物はいない、しかし収斂進化、という言葉がある」  半ば混乱し、考えを口走る私に、彼はそっと支えるように言葉を置く。不愛想な性格のように見えるが、議論においては相手の理解を優先する性格らしい。  「異なる生物の系統において、その形態が似る現象のことを、そう呼称する。鳥とコウモリの祖先がかつてそうであったように、似た生態的地位に属する生物同士は形が似てくる場合がある。異なる時代でも、それは起こりうることが分かっている。だが、それは決していつも発生するような現象ではないし、まず我々の生活をみてもおかしいのは明らかだ。我々は知的生物として存在していても、似た生態的地位には付いていない。それは文化を研究している君こそよく知っているはずだ」  その通りだった。文明黎明期になってなお、我々人類は様々な種族ごとに、異なった文化、異なった食性を持って生活していたことが分かっている。決して生態的地位、いわゆるニッチが同じというわけではないのだ。さっきの通り、私の祖先であるゾウの一族は草原や森で、ネズミは場所を選ばず様々な地域で、文明を築いてきた。  「近年の分子系統解析、いわゆる遺伝子解析において、我々の神経細胞密度を大きくする遺伝子、二足歩行向きの骨格を司る遺伝子、この重要な遺伝子が同定され、その配列への変化が起きた時期は、我々の分化、つまり様々な系統に分かれた後であることがわかっている」  再び洞窟の奥を向き、小さな歩幅で歩きだした彼を慌てて追いかけながら、私は考える。そうなると、やはり彼は、知的生物への進化が、様々な種族の祖先が現れた後であり、その祖先から、知的生物である我々が進化したのだと見ているのだろう。そこでようやくわかる。彼は、恐らく生涯をかけて、この問題を解き明かそうとしているのだと。そのためには、誰の協力も仰ぐし、どんな難所にも飛び込むし、どんな学問でも参考にする。それが彼なのだ。研究者としてある種純粋な彼に、私は好悪ではなく信頼を抱き始めていた。  彼が歩みを止めた。周囲の空間の大きさは今までと変わらないが、周囲を照らすライトは増えている。その多くは壁に向けられ、そこにびっしりと描かれた紋様、いや、壁画を映し出していた。  文明黎明期に描かれたものなのだろうか、これは。  かつて見てきた洞窟の壁画よりも整然と絵が並んでいて、まるでカタログのようにも感じられる。しかし、絵柄は自分がかつて見た数多の壁画と同じ、描かれている内容は違うが、タッチも、それぞれの種族の表現の仕方も、よく似ていた。  「これは、どういう絵だと思う」  文明黎明期の壁画の多くは狩りや、食物を採集する絵だった。しかしこれはそうではない。彼が聞くのも当然だった。絵の多くは左から、四足歩行の動物、少し屈んだ動物、そして直立する人類、それが並んで、同じ種族で描かれている。  「一見すると、四足歩行の動物に、屈んだ動物と、二足歩行の人類が追われているようにも見えるけれど、でも、これはむしろ」  悪い冗談のようだ。予め実施された放射性炭素年代測定では、この壁画は間違いなく数万年前のものだった。しかし、私には、一昔前の「人類の進化の図」にしか見えない。左から右へ、人類が進化に伴って歩いていく、あれだ。よく用いられるのはウマのイラストだったが、ここにも、まさにそっくりのウマの壁画がある。もちろん、彼と同じネズミも、そして、この地域には分布していなかったはずの私たちゾウも。  「さっき化石記録のことを話したが」  彼も見上げながら言う。私と違って、彼にはこの洞窟がより広大に見えているに違いなかった。サイズが違う。食性も違う。起源も違う。しかし、共通点は多々あった。そういえば、人類は多くが三色型色覚で、指も五本の場合が多いと聞いたことがあった気がする。まるで誰かが揃えたかのようだ。  「本来、進化とはあるグループから別のグループが派生する、新芽から新しい枝ができるようになっていく。恐竜のように大量絶滅でも起きない限りは、古い枝に残ったグループが消えてなくなるわけではない」  しかし、と彼は続ける。さっきとは明らかに違う、憑りつかれたような表情だ。赤い眼はしっかりと、遥か上の壁画を見据えている。  「我々人類はあらゆる系統において、祖先となる、あるいはそれに近いグループの現生種が見つからない。まるで祖先の全部が、一斉に知的生物への進化を遂げたように」  私は何も言えない。彼の言葉は的を射すぎている。我々人類が、ゾウでもネズミでも問わず、進化から逸脱した存在であると突きつける。かといってそれ以外の可能性があるだろうか。私は神を信じていない。デザイナーがいるとは、考え難かった。  「水平伝播、という言葉がある」  そう彼は淡々と、しかし目を背けずに続けた。ウィルスや細菌によって、継代ではなく、遺伝子、そして形質がある種から別の種へ移ることがある、という意味らしかった・。  「私は、何らかの形で水平伝播が、脊椎動物の多くに一斉に起こったのだと思っている」  彼はようやく壁画から視線を外し、こっちを軽く向いて、やっと自身の考えを言った。途方もない話だ。ひょっとしたら、収斂進化が一斉に起こるのと、そう変わらない確率かもしれない。それが本当なのかどうか、私は気になって仕方なくなっていた。  「君の力が必要だ。なんとか、この問題を解決したい」  そう言って差し出された小さな手を、私は、大した逡巡もなく握り返した。  彼の顔が、これまで無表情だった顔が少しだけ綻ぶ。しかしその眼は、やはり爛々とした赤い光を讃えていた。

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